富太郎の日常 276 『私の東京百景Ⅰ6「新・旧 立川」』

 ここ数か月、立川駅周辺の商業施設以外に立川へ出かける機会が続きました。 思えば昭和30年代の終わりに実家が引っ越してきてから、付き合いは60年以上。 約5年ぶりに、テーマは「立川」です。


 〇 基地の街、ギャンブルの街

 子供の頃の立川の街は、駅北口のの近くまで米軍の基地があり、まだ傷痍軍人の人が座っていたり、上空

を米軍の大型輸送機が飛んでいたり。 富太郎の実家も住居表示実施前は「砂川町」という地名でした。

(憲法の重要判例として有名な「砂川事件」の砂川。 富太郎の実家のそばの『栄緑地』は、昔は基地に

燃料を運ぶ引き込み線で、昭和40年頃まで、小型の蒸気機関車が引っ張っていました。) 遡って戦前は

陸軍の飛行場だったようです。 立川の和菓子屋 伊勢屋さん には『飛行機最中』があったような記憶が。

 また、毎年年末に「競輪グランプリ」が開催される『立川競輪場』も当時からあり、赤鉛筆を耳に挟んだ

荒んだおじさん(当時)がゾロゾロ歩いていました。 そんなおじさん相手の大衆居酒屋も多数存在。

今は駅から競輪場までの輸送バスが出ていて、耳赤鉛筆おじさんはほぼ見かけなくなりました。

 (元不良、)俳優の 宇梶剛士さん が何かの番組で、他の出演者に「宇梶さんがいたから、怖くて立川には

遊びに行けなかった。」と言われたのを受けて、『パトロールをしていたんだ。』と答えていましたが、

そんな空気感の街でした。 子供たちだけで初めて立川に行った時には、ちょっと大人になった気分に。


 〇 立川広域防災基地

 1977年(昭和52年)に、米軍基地が全面返還され、跡地にはまず『昭和記念公園』が開園し(19

83年)、1998年に『多摩モノレール』が一部開通。 その後「首都圏での大規模災害発生時に『災害

応急活動拠点』『政府機能のバックアップ機能』」として、官公署が続々と移転終結。 富太郎が免許の

更新や返納に行った『立川警察署』、両親がともに救急搬送された『災害医療センター』、開業、廃業届に

行った『立川税務署』(確定申告はインターネット利用)、登記事項証明書をもらいに行った『立川法務局

』(司法書士試験の願書をもらいに行ったら、ここでは配布していないと言われた。出張先の甲府ではもら

えた。) ほかにも、「裁判所」「検察庁」「消防署」「市役所」(証明書類は、駅前の出張所で入手可)

等が集積しています。 箱根駅伝予選会スタート地点の陸上自衛隊の滑走路も、この一角です。

公庫の立川支店も移転しましたが、駅前の雑居ビルの中。 通るたびに不思議な気分で見ています。ココ?

 先日も、『災害医療センター』に行ってきましたが、歩くにはちょっと遠く、バスだと2停留所、ものの

5分。なんとも微妙な距離。 そういえば、その昔警察に行こうとしてバスを乗り間違えて、延々と歩いて

戻ってきた苦い思い出も。  もう少し駅に近いところに『たましん(多摩信用金庫)』の本店が移転。

富太郎が大学に合格した時に、親に入学金を多摩信金で下ろして、自分で銀行で振り込んでくるように言わ

れて窓口で手続きをしていたら、窓口のお姉さんに「何にお使いですか?」と聞かれて、「入学金です。」

と答えたら、ほっとしたように「おめでとうございます。」と言われたのだけれど、親の金、もしくは他人

の金を勝手に引き出す、不届きな若造と思われたのかもしれません。 これが1976年。基地返還前年。


 〇 タチヒ ゴルフ練習場

 10年ほど前まで、このあたりで一番大きなゴルフ練習場(180打席、240Y)があった跡地には

(昔の「立川飛行機」の本社があった場所)『ららぽーと立川立飛』ができました。 同じ住所に、昨年

浅田真央さん の『MAO RINK TACHIKAWI TACHIHI』がオープン。 『立川ダイス』と

いうプロバスケットボールチーム(B3リーグ)の、メインホームアリーナは『アリーナ立川タチヒ』。 

と、あの辺りは『タチヒ』一色。 パリ五輪のフェンシング団体銅の 江村美咲選手(中大卒) は『タチヒ』

の所属だし、中大陸上部の記録会にも『タチヒ』の冠が付けられています。 タヒチグループは、約100

万㎡(東京ドーム21個分)の土地を所有、賃貸している不動産屋さん。 まさに地域文化のパトロン。

 まだまだ、何かやってくれそうな気がします。


  選抜の出場校が決まり、プロ野球のキャンプイン、

 立春、冬季五輪開幕と「お楽しみ」は多いけれど、

 花粉症の先駆け?で、くしゃみ・鼻水が出始めた

 富太郎  (涙目)



 フォト/立川駅北口のペディストリアンデッキにある

 モニュメント『風に向かって』 作者:赤川ボンズさん

 飛行場があった関係で、戦前立川は「空の都」と呼ばれ

 ていたらしいです。 「飛行機は立川のシンボル」との

 表現も。 赤川さんは銅版作家で、1974年から市内

 の工房で創作活動を続けている74歳。 もう50年

 以上。 立川に米軍基地があった頃からというのが凄い。

 ♪「・・あの子の命は ひこうき雲・・」(1973年)

 ユーミンも半世紀以上。凄い。










2026年02月06日