富太郎の日常27 『私の東京百景4 御茶ノ水』
先日参加した、中小企業診断士の更新研修の会場が、「御茶ノ水」でした。
少し早く着いたので、町中を散策して来ました。
〇 聖橋(口)
大学時代、中央線で御茶ノ水駅の聖橋口改札を使っていました。
現在、御茶ノ水駅は工事中で、当時の改札は壊されていました。
改札を出ると、すぐ左側に『聖橋』。
聖橋そのものは、当時のままでした(写真)。
さだまさしに『檸檬』という歌があります。
♪喰べかけの「れもん」聖橋から放る
快速電車の赤い色がそれとすれ違う・・・
橋の上に立って下を覗くと、赤と黄色の電車が
停車中・・・。ホームが伸長された?
〇 順天堂病院、日大病院
富太郎の御茶ノ水ファーストコンタクトは、順天堂病院。
この病院で生まれたと聞いてています。当然、まったく記憶はございません。
普通のサラリーマンの子がなぜ大学病院?との気もしますが、
永六輔さん(お寺さんの子)も、エッセイの中で「順天堂病院で生まれた」、
と書いていたので、特別なことではなさそうです。
そして、日大病院は、富太郎が小学校低学年の時に亡くなった祖父が入院していた病院。
同じ時期に、明歩谷(みょうぶだに)という長身のお相撲さんも入院していました。
その頃。いわゆる柏鵬時代に富太郎が応援していたのは、北葉山。
最近相撲界を賑わした「時津風部屋」の大関でした。
〇 三井住友海上本社
母校が八王子に移転してその跡地に建ったのが、大正海上火災保険の本社で、
その後商号変更、合併があって、現在は三井住友海上。立派な建物。というよりはビル群。
昔、図書館のあった場所にも、別館が建っていました。
当時、世間的には学生運動はかなり収まっていたのですが、
「八王子移転反対運動」で学内は荒れており、ヘルメットをかぶった学生が校内にしばしば出没。
学年末のテストを受けていると、ピッピッっと笛を吹きながらヘルメット集団が教室に乱入してきて、
答案用紙を持って行ってしまうという、今では考えられないようなことも経験しました。
また、富太郎が憲法を教わった『佐藤功先生』は、日本国憲法の起草作業をされた方のおひとりで、
講義の時は、大教室が聴講生で立ち見まで出るほどの大人気でした(他大学からも来ているとの噂も)。
上智の教授だった先生は、八王子移転を機に「遠いから」と講義を持っていただけなくなりました。
確かに移転した八王子は、学校の周りに何もなく、『まむしに注意』の看板が・・・。
現在唯一、母校の名残り「駿河台記念館」があるはずだったのですが、工事中。取り壊されていました。
再来年の三月完成予定で、地下1階、地上20階建ての建物が建つとの看板が出ていました。
そんなに広い敷地ではないと思うのですが。
〇 太田姫神社
道路の位置関係は変わっていないようなのですが、
45年もたつと、さすがに見覚えのある建物は
「ニコライ堂」くらい・・・。
歩き回っていると、昔の裏門を出たあたりに
見覚えのある神社が・・・(写真)
「太田姫神社」との表記はあるのですが、
この神社で何かあったとか、由来がどうとかは、
まったく覚えはありません。ただ、見た記憶だけ。
小さな敷地の神社ですが、『昭和15年1月建立」の
石碑があって、確かに当時から建っていたようです。
帰ってからインターネットで調べたところ、
かの太田道灌が、娘の病気が治ったことから、
江戸城内に建立し、江戸城改築時に移転。
その後代々徳川家が修理造営を行ってきたと伝えられ、
宇迦之御魂命、菅原道真、徳川家康が祀られている
という由緒正しき神社のよう。知らなかった。
今回は、研修までの限られた時間で、下調べもなしだったので、
今度はゆっくり散策してみたいと思っています。神保町の古本屋街にも、ぜひ。
気分は、大学生に戻った 富太郎