富太郎の日常29 『春は選抜から』

今日、二年ぶりに春の甲子園が開幕しました。

去年サラリーマン生活に別れを告げ、久しぶりに「選抜」の開会式を見るため、テレビの前へ。

アナウンサーは『春は選抜から』のフレーズは使わず、「春、球児たちが甲子園に帰ってきました。」


子供のころ、オープン戦が終盤にさしかかり、大相撲の春場所が終わって、沈丁花のいい香りが漂い、

我が家の炬燵が仕舞われると、いよいよ、待ちに待った、本当に心待ちにしていた『甲子園』。

NHKのスポーツテーマの音楽。だいたい、選抜の中継は静かに始まることが多かった気がします。

そしてアナウンサーが厳かに「春は選抜から。・・・」と言っていたのですが。


開会式。ファンファーレ。「選手入場!」の掛け声。その年の入場行進曲。チーム先導は、夏の女子高生

とは違い、ボーイスカウト。誇らしげに大きく腕を振りながら行進する(まだ、あどけない)選手たち。

大会役員等おやじたちのあいさつが長い。「宣誓」、大会歌*、選手退場。後片付けの後、第一試合。

ベンチ前に整列した選手たちが、審判の登場で競うようにダッシュ、ホームベースを挟んで整列。礼。
始球式、「プレーボール!」、試合開始のサイレン。ブラバン、チアガール、坊主頭の控え部員、父兄OB。

毎年の「相変わらず」が迎えられなかった去年。「あたりまえ」ではないことをかみしめながら、

今年は、開会式を見ました。
参加したのは、今日試合のある6チームのみ。「イチ、ニィ」の掛け声がないためか、若干手足バラバラ。
他の学校はスコアボードのビジョンに、地元で(?)録画した行進のビデオが流されました。
大会歌*は、後ろの方はバッサリ切られていたのに、おやじたちの話はやっぱり長い。式の1/3。
そしてクライマックスの選手宣誓。仙台育英のキャプテンの、一言一言かみしめるような宣誓の中に
『春は選抜から』のフレーズが。これ、これ。これがなくちゃぁ、春は始まりません。


*大会歌 現在は「今ありて」という阿久悠作詞、谷村新司作曲の歌(富太郎的には、夏の「ああ栄冠は君に

輝く」と比べて、躍動感がないなぁと、今一つ)ですが、平成5年にこの曲に代わるまでは、

全国選抜高等(中等)学校野球大会歌 作曲 陸軍戸山学校軍楽隊 という年代物でした。

♪ 陽は舞いおどる甲子園 若人よ雄々しかれ 長棍痛打して 熱球カッと 飛ぶところ

  燃えよ血潮は 火の如く ラ毎日 ラ大会 ララララ

毎年何気なく開会式の合唱を聞いていましたが、「毎日」新聞社主催とはいえ、平成に入ってからも

この歌詞で歌われていたというのは、こうして改めてみると、かなりビックリです。


前置きが長くなりましたが、富太郎にとっての「選抜」について、書いてみたいと思います。

(「選抜」は野球だけではないのですよ。)


 〇 『江川』登場  (敬称略)

富太郎が高校に上がる年の春休み。いよいよ怪物「江川 卓」が甲子園に登場します。

前の年まで、県予選でノーヒットノーラン等、恐ろしいピッチャーが栃木にいるとの噂はありましたが、

甲子園に出られなかった「江川」がついにそのベールを脱ぎました。
バッターが振っても「バットに当てることができない!」という強烈な印象が今でも・・・。三振の山。

1回戦19個、2回戦(7回)10個、準々決勝20個、準決勝・広島商業戦1対2で負けましたが11個。

この決勝点も打たれたわけではなく、8回2アウト1・2塁からダブルスチールをかけられ、

キャッチャーが3塁に悪送球をして失点。くさい漫画のような敗因でした。

そして、「江川」といえば憎まれ口。

開会式後、テレビ中継にゲストで出ていた『ジャンボ仲根(前年の選抜で、日大桜丘高で優勝。

この年近鉄にドラフト1位で入団)』とのモニターを通しての対談で、アナウンサーに「何か質問は?」

と言われて「江川」が聞いたのが、『なぜ大学に行かなかったんですか?』。仲根は苦笑い(のみ)。

『自分はプロには行かないよ。』ということが言いたかったんでしょうけど、それにしても、ねぇ。

まあ、その後も「大学進学時」「プロ入団時」「引退時」その時々でお騒がせの「江川卓」ですが、

全国デビューは、まぎれもなくこの時の「選抜」だったと思うのです。
それにしても、江川の時代の作新学院はあまりにも打てなかった。


 〇 春高バレー

V6の解散が話題になっていますが、ジャニーズの歴代のアイドルグループは、バレーボールの大会の

応援ソングを歌ってメジャーになっていきました。そんなバレーボールブームの先駆けになったのが、

「アタックNO1」とか「サインはV」というアニメやドラマ。そして、ミュンヘンオリンピックで

男子が金メダルを取るのですが、そんな全日本男子バレーボールチームを追いかけたドキュメント

番組が『ミュンヘンへの道』。松平監督、横田・森田・大古のエースアタッカートリオ、セッター猫田、

キャプテン中村裕造、ベテラン南、プリンス嶋岡、木村憲治、きゅうり佐藤、西本、深尾・・・。
う~、あと一人が思い出せない。なんと失礼な。無念じゃぁ。

当時、富太郎もバレー部で(中学に残念ながら野球部がなかった)、担任の先生に「何部?」と聞かれて

『バレー部です』と答えると、「テレビの影響って、すごいね。」と変な感心のされ方をしたのを、

とてもよく覚えています。当時富太郎は背がクラスで前から2・3番目と大きくなかったせいもあるかも。

そんなバレーボールブームの中で始まったのが、春高バレー。1970年、富太郎中学入学の年。

当時は、各県大会の決勝までテレビ中継されていました。バレー中継といえば、フジテレビ。

最近は本大会の決勝くらいしか中継はされていませんが(それすら見ていない)、県大会の中継も

熱心に見ていました。松平さんが解説をしていて、印象に残っているのが群馬県大会決勝で、

「まえたか(前橋高校)」対「たかたか(高崎高校)」の名門・進学校対決とか、当時強かった

藤沢商業(現・藤沢翔陵)のバレーを、松平さんが(たぶん敬意を表して)『せこいバレー』と言っていたこと

等々。どうでもいいようなことばかりで、どこが勝ったとか負けたとかは覚えていません。

そんな春高バレーも、2011年からは、1月の開催に。3月開催だと、3年生が出られないからなんですと。

有望選手が、大学・実業団に進むのに実践ブランクをなくすためとか。

「世界大会でメダルを取るために」というのもわかるのですが、一握りのエリート選手のために

諸々を変えるという方針が、裾野を狭めているような気もします。

名門進学校同士の県大会決勝対決なんていうのも、今は昔?・・・。


 〇 全国高校ハンド選抜大会

運動好きの親子ではありますが、我が家のレベルは・・・。

そんな中、唯一全国大会に行ったのは、体育会系2号の春選抜。

東北の震災の翌年(前の年は震災で中止でした)。会場は岩手県の花巻。

富太郎も、もちろん有休をもらい、大人の休日倶楽部を使って、二泊三日で夫婦で応援に。

その頃、所さんの笑ってコラえて!で「日本列島 男子ハンドボールの旅」というのをシリーズで

やっていて、取り上げられたうちの1校「北陸高校」がなんとなんと同じホテル。朝食のバイキングで

一緒になりました。テレビでも見た顔を見つけてドキドキ。さすがに声はかけませんでしたが。

ホテルから会場に行く途中に菊池雄星で有名になった「花巻東高校」。大谷翔平も在学していた頃でした。

グランドは雪に埋もれ、誰もいませんでした・・・。残念。

1回戦は、スポーツ強豪校、甲子園でもおなじみの「高松商業」。わが方は父兄がなんとなく集まって

応援しているだけでしたが、さすがに「高松商業」。応援慣れしていて、団長風のおじさんが、

太鼓をたたきながら母校の応援に続いて、こちらの学校にもエールを送ってくれました。

こちらは、拍手で答礼のみ。「う~ん、圧倒されるなぁ」と思っていたのですが、最初緊張していた

生徒たちも、徐々にのびのびとプレーしだし、後半逆転。なんと常連校に勝利してしまいました。

2回戦も、先行されたのを後半必死の追い上げで1点差まで詰め寄りましたが、無常の笛。

1回戦が、富太郎人生唯一の全国大会の勝利(応援だけど)となりました。

思えば、体育会系1号のバレーの応援も含め、ずいぶんいろんなところへ応援に行かせてもらいました。

ちなみに奥は、子供たちのリクエストもあり、試合の間中ずうっとビデオ撮影。「ほとんど生で試合を

見たことがない。」と言っていました。ご苦労様でした。

そんなわけで、我が家には試合のビデオテープや焼いたDVDがい~ぱい。


夫婦で、親馬鹿チャンリン 蕎麦屋の風鈴 の 富太郎



 

 

 フォト/大学通りの桜は、まだ1~2分咲

    代わりに、菜の花が満開です。

    なぜ、国立で菜の花なのかは

    謎です。



















2021年03月19日