富太郎の日常107 『ユーミン』

 デビュー50周年とのことで、ユーミンがテレビに出まくっています。
 インタビューで、「ただのレジェンドで終わりたくない、が夢。レジェンドのその先に行きたい。」と
語っていました。 御年68歳。気力十分です。 『レジェンドのその先』って・・・神話?

 〇 『ルージュの伝言』 1975年2月発売 5枚目のシングル

 富太郎の初ユーミンの記憶は、高校の昼食休み。 放送部のハコイが毎日、毎日流していました。

♪「・・・街はDing-Dong遠ざかってゆくわ・・・」 街の鐘が遠ざかっていくのか? 程度の印象。

大学に入ると、学校のそばに『Ding-Dong』という喫茶店があり、そこでゼミの打ち合わせをし、

校内バレーボール大会にゼミ有志で『Ding-dong PARTⅡ』とのチーム名で参加したり。すぐ負けたけど。

 まったく主体的ではないけれど、確実に体内に『Ding-Dong』は蓄積され、それが決定的になったのが、

1989年(平成元年)7月公開の『魔女の宅急便』。「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」の

キャッチコピーが、クロネコヤマトの営業所などに、ガンンガン張り出されていました。 この映画の

オープニングが、まさにこの曲。ジブリの最初のヒット作品であるとともに、ヤマト運輸の登録商標である

『宅急便』が一般用語として認識されるほどに。 富太郎は、森に住む画家の子と、配達先の老犬が贔屓。

 〇 『やさしさに包まれたなら』 1974年4月発売 3枚目のシングル

♪「・・・目に映る すべての物は メッセージ」 が『魔女の宅急便』のエンディング。

我が家のどこかには、奥の希望で買った、当時1万円近くしたVHSのビデオテープが眠っているはず・・・。

 〇 『中央フリーウエイ』 1976年11月発売 4枚目のアルバム「14番目の月」の5曲目
♪「・・中央フリーウエイ 右に見える競馬場 左はビール工場 この道は まるで滑走路 夜空に続く」
中央高速の府中あたりの描写。「夜空に続く」とあるので、離陸をイメージしているのでしょう。
 富太郎は、中央高速に乗るときは『国立府中インター』から(ゴルフに行くときに乗せてもらう)なので、
この景色は、まず見ません。そして、ゴルフ帰りに、『国立府中インター』で降りるので、イメージは、
着陸。降りた後、甲州街道に出て、「谷保天満宮」の信号を右折して、国立市内の格納庫へ・・・。
 〇 『最後の春休み』 1979年7月発売の、4枚目のアルバム「OLIVE」の4曲目 

♪「・・・たまに電車で目と目があっても もう制服じゃない」 相手はクラスメイトの男の子との設定

ですが、ユーミンが卒業したのは、『立教女学院』というキリスト教系の女子高。井の頭線で、吉祥寺から

二駅目の「三鷹台」にある学校です。ユーミンの実家が八王子だから、中央線で吉祥寺で乗り換えて通って

いたのでしょうか。 確か、同期のチバちゃんのお父さんがこの学校の事務長さんだったような・・・。

高校時代のユーミンと会っていたかも?

 〇 『雨のステイション』 1975年6月発売 3枚目のアルバム「COBALT HOUR」の9曲目

♪「・・・雨のステイション 会える気がして いくつ人影 見送っただろう・・・」

立川から青梅線で一駅目の『西立川』という駅近くに、この歌の歌詞を刻んだ石碑があります。というのは

ユーミンが、「駅の北側の米軍基地の中の「スピード」というディスコで遊んだ帰りの、西立川駅の情景を

曲にした。」と自ら語ったからだとか。この駅の2番線、立川東京方面の発車メロディーも、この曲です。

 この米軍立川基地は返還され、今は「昭和記念公園」。昭和記念公園と言えば、箱根駅伝予選会が15日

土曜日に、昭和記念公園と立川市街で行われます。例年ドキドキするのですが、おかげさまで今年、中大は

シードなので、予選会には出ませんん。 代わりに、10日の『出雲駅伝』に出場です。エへヘヘヘヘ。


 ジャイアンツは4位で、今年は終戦ですが、

 駅伝シーズン到来で、富太郎のワクワクは続く。 

 あ~、楽しみ!!


 フォト/奥と久しぶりに、吉祥寺の

 「井の頭公園」へ。開場前のボート乗り場で、

 スワンがミーティンング中。

 「今日、ぼく、ホームラン打ちまぁす!」

 「西武の、山川かっ!!」

 ってなやり取りが、聞こえてきそう。










2022年10月07日