富太郎の日常106 『評論家』

 マキタスポーツの『ザ・カセット・ミュージックのお時間ですよ、奥さん!』というタイトルコールで
始まる、日曜夜9時からのBS12の番組を富太郎は楽しみにしているのですが、やるのは本当に不定期。
 しかも、収録場所が放送局のエレベーターの前のホールだったり、レンタルルームの一室だったり。
番組の中でスポンサーを募集してしまうような「風前の灯火」感満載、かつ、出演者は マキタスポーツ と、
音楽評論家の スージー鈴木 と、女性アシスタント(トンちゃん、または、ウメ子)の3人のみ。 これで、
1時間もたせてしまうから凄い。内容も、80年代音楽関連の、どうでもいいようなものなのですが・・・。
 そんな番組の中で、独自のうんちくを傾けている スージー鈴木 さんが、『桑田佳祐論』という本を出版
したと言うので、早速購入しました。  はじめに-こんなもん、ただの歌詞じゃないよ
 書き出しは『白状すれば、桑田佳祐の歌詞など、まともに読んじゃいなかった。』 富太郎も然り。
このあと、延々269ページにわたり、桑田の色々な歌についてうんちくが語られます。現在、読書進行中。
 富太郎は、大変失礼ながら、内容よりも、 スージー鈴木 氏個人に興味を持ちました。
番組の中で、キーボードを弾き、音階についての独自の解説をすることが多いので、『音楽評論家』だと
思っていたのですが、氏は早稲田の政経を卒業後、博報堂 勤務の側ら「野球小僧」ゃ「週刊ベースボール」
にコラムを執筆することから文筆活動をはじめ、その後に音楽関係の本も書くようになったようです。
「野球音楽評論家」、あるいは「野球文化評論家」という肩書らしいです。そして氏の人生の三つの夢は、
①プロ野球公式戦の始球式(千葉ロッテファン)   ②紅白歌合戦の審査員(ジュリーを人生の師と敬愛)
③週刊文春で音楽コラム連載  年齢的には、富太郎よりも一世代下だと思われますが、共感できます。
 野球と言えば、『評論家』と『解説者』の違いは何か。 『評論家』は、新聞や雑誌に記事を書く人で、
『解説者』は、テレビやラジオの中継で解説する人なのだとか。同じ引退した野球選手なのだけれど。
読売新聞紙上では『スポーツアドバイザー』。  誰に対するアドバイザーなのだろう・・・。
 富太郎が信用している野球解説者は、宮本慎也さん。 言っていることが理論的で、納得できる。
あと、最近気になっているのが、広岡達郎さん。御年90歳で、『10勝もできない菅野のどこがエースだ』
等々、「巨人を愛するからだ」の枕詞の元、まあコメントが辛辣かつ否定的。富太郎の年齢でも、巨人の
ショートの現役時代の記憶は、ほとんどありません。監督だった川上と犬猿の仲だったとの話は、聞いた
ことがあるような・・・。 その後、西武とヤクルトの監督として日本一にもなっているはずですが、
それだってもう、30~40年前じゃないかなぁ。 それでも、今の野球界(巨人)に対して自分の意見を発信
していくバイタリティーには、敬意を表します。 意見を求めるマスコミも凄い。
 その昔、『一億総評論家時代』という言葉が流行ったようです。 恥ずかしながら、富太郎は『みんなが
「野球評論家」のようだ』という意味だと勝手に思っていたのですが、富太郎が生まれた頃に、評論家の
 大宅壮一 という人が、「テレビには悪い面だけではなく、視聴者が自分でも考え、意見をまとめる
チャンスを与える面もある」と評価して付けたのが『一億総評論家時代』のキャッチフレーズ。この方は、
前の年には『一億総白痴化』とテレビの悪影響を表現していました。 『口コミ』も、大宅氏の造語です。
 さらに昭和30年の「中央公論」に、『ラジオの野球中継にはアナウンサーのほかに解説者(原文ではタレ
ント)と呼ばれるものがいて、アナウンサーの質問に応じて、両チームの批評などをする、その道の専門家
がいる。 今日の社会では、あらゆる面でこのタレントが必要になってきている。彼は監督の戦術の誤りや
審判の誤審を指摘することはできるが、退場を命じたり誤審を正したりする権限は与えられていない。
それでも、自分の判断に自信があるときは、これを世論に訴えることができる。・・・・最後の、そして
もっとも有力な審判者は、目に見えない大衆だと信じている。(要約)』 65年以上前にもうこの文章。
 なんか、すげぇ!

 大宅壮一氏に、がぜん興味がわいてきた 富太郎
 『本は読むものではなく、引くものである』
 が持論だとか。
 「過去問は、解くものではなく、読むものだ!」
 って言っていた予備校の先生がいたなぁ・・・。


 フォト/ スージー鈴木 著
  『桑田佳祐論』 新潮新書  860円(税別)
  第1章 胸騒ぎの腰つき (1978~1985)
  第2章 米国僕ノヒーロー(1986~2010)
  第3章 20世紀で懲りたはずでしょう?
              (2011~2022)
  終 章 桑田佳祐と戦後民主主義(1945~2022)









2022年09月30日