富太郎の日常84 『私の東京百景8 原宿』

 ♪「・・・原宿 表参道 ゆれて 青山通り・・・」 ロス・プリモス&シルビア 『それぞれの原宿』

 前回、キョンキョンのエッセイを取り上げて、書いているうちに30年ほど前のことが色々と思い出され

たので、今回はその頃の原宿界隈について。 かなり前の事なので、勘違いや思い違いは、すみません。

 〇 原宿キデイランドの裏あたりに(多分)あった「スパゲッティ屋さん」

 北海道から奥の友達の よし子さん が遊びに来ていたので、昼休みに3人で待ち合わせて、原宿ランチ。

携帯もない時代に、よく会えたものだと今だと思いますが、ちゃんと会えて、店前のテラスで食べました。

当時から、富太郎はボンゴレが好きだったので、注文したのは恐らくボンゴレのランチメニュー。
ただ、どんな話をしたのかは全く覚えていないのですが、食前に出てきた小さなグラスの赤ワインの色を

『午後も仕事があるから』と自分だけ飲まなかったのが、かなり心残りだったのtか、鮮明に覚えています。

お店の名前は、忘れてしまったのに・・・。

 〇 原宿駅の皇室専用ホーム

 新宿から渋谷に向かって山手線に乗っていると、右側にホームと言うか、車がそのまま乗りつけられる

施設がありました。皇室の方がお召列車に乗るときに使うホームだったようですが、富太郎の記憶だと

ビシッと手入れされている感じではなく、ペンキにむらがあったり、草が生えていたような・・・。

 当時は、夏休みに那須の御用邸や軽井沢に行かれる時に使われていたようですが、最近はニュースなどで

見ているとお車で移動されているようなので、今でもあのホームは使われているのでしょうか。

 あの施設は国のものなのが、JRのものなのか。どちらのものでも、庶民・富太郎には関係ないけれど。
 当時、原宿の駅舎が都内で一番古く、国立が二番目でした。どちらの駅舎も建て替えられて、今は新しく
なっていますが、それぞれの駅舎が今の駅の近くに保存されているようです。 国立は、赤い三角屋根。

 〇 原宿のお三方 (名前は失念しています。)

 仕事柄、神宮前を担当していた富太郎は、地元の方にお話を伺う機会が多々あったのですが、特に鮮明に

印象に残っているみなさんです。

 ・ 竹下通り商店会の会長さん

 タレントショップなど派手な印象の竹下通りですが、初老の会長さんはYシャツにカーデガンを羽織り、

ごく『普通』という印象でした。コンビニのオーナーさんでしたが、いろいろと苦労話を聞かしていただき

ました。少年少女がらみの犯罪も多かった記憶があります。 それでもすごい人通りだった竹下通り。

 ・ 竹下通り裏の歯医者さん

 通りから少し入ると、静かな場所も。そんな一角で自由診療で経営していた歯医者さん。

印象に残っているのが「なぜ日本人は車には何十万、何百万とお金をかけるのに、自分の体のメンテナンス

には、お金をかけないんですかねぇ。一回やってもらえば、価値がわかってもらえるのに・・・。」

とおっしゃっていました。『う~ん』と唸ったきりの富太郎でしたが、テニス部でも、ヤダちゃんや

アッシーなど、その後自由診療の歯医者さんに通うメンバーも何人かいました。

 それにしても、竹下通り近くのあの場所に、一戸建ての診療所兼ご自宅をお持ちだった先生は、

富太郎とは当然至極に住む世界が違っていたはずなのに、とても気さくにお話してくださいました。

 ・ 原宿駅近くのマンションに事務所を構えていた、デザイナーさん

 原宿といえばファッション。そして神宮前一帯には、アパレル系のメーカー、問屋さんがごまんと

ありましたが、富太郎が印象に残っているデザイナーさんは、アパレルではなくポスター等が専門で

お話を伺っていると、「実は産経新聞の題字をデザインした」のだと、原画を見せてくれました。

凄い方だったようですが、富太郎、お話を膨らますことができず・・・。大変失礼しました。

窓辺の作業机の脇で、原画を見せていただいたことだけが、スチール写真のように記憶に残っています。

 〇 ラフォーレ原宿

 神宮前交差点に「ドーン!」とあったファッションビル。富太郎には縁がなかったので、その前を

しょっちゅう往ったり来たりしてはいたのですが、中のお店のイメージは全くなし。

 ただ、何年か前に、このラフォーレ原宿で80~90年代に大ブームになった『セーラーズ』が

4日間限定で復活したとの記事を見た記憶があります。

 富太郎が渋谷支店にいた時代、都内支店の運動会が毎年ありました。今の高校生の体育祭のように、

ユニフォームをそろえたりしていたのですが、ある年の実行委員が高らかに発表したのが、『今年は、

セーラーズのトレーナーです。』「おー!」と盛り上がる店内。そしてトレーナーが出来上がってきた日、

おニャン子たちが着ていた水夫さんのイラストを想像していた富太郎に渡されたのは、みどり色の

トレーナーなのだけれど、そこに水夫の姿はなく、クジラのイラストが・・・。 確かに sailors と

刺繍が施され、まぎれもなくセーラーズのトレーナーではあったのですが。
『おニャン子が』は、グッと飲み込みました。 顔には出ていたかもしれないけれど・・・。

 30年。あっという間でした。


 陽気に誘われで、ゴルフの練習を再開した 富太郎

 『当たらねぇ~!』 試験まであと73日


 フォト/あの時のみどり色のトレーナー

  奥がクッションカバーに加工していた

  ものが、押し入れの中に。 

  実行委員だった こすけ 元気かぁ?

 










2022年04月22日