富太郎の日常78 『富太郎の暮らした街 浜松』

 今年も、(悲しい出来事が多い毎日ですが)『春は選抜から』の季節がやってきました。

ただ、秋の東海地区大会で準優勝しながら「センバツ落選」となった 聖隷クリストファー高校 は、ちょっと

選手が気の毒すぎる気が。まあ「おとなの事情」があるのでしょうが・・・。

 この高校があるのが浜松市北区の「三方原」。徳川家康が、武田信玄に完膚なきまでに打ち負かされて、

這々の体で「浜松城」に逃げ帰った「三方ヶ原の戦い」の古戦場がある場所です。

 富太郎も、20年ほど前に転勤で浜松に暮らしたことがあるので、今回は浜松を巡るあれやこれや。

 話しを戻しますと、聖隷クリストファーの校長兼野球部監督さんの上村先生は、富太郎と同じ齢で

浜松商業の出身。大学の同級生小川君が習志野高校で全国優勝した、第57回の夏の甲子園に選手として

出場し、その後浜松商業の監督としても、春4回、夏2回出場しています。

 浜松商業は地元では「はましょう」と呼ばれ、浜松商工会議所の指導員Aさんは「浜松で"はましょう"と

言えば、浜松商業」とやや自虐的に言っていました。(東京で"とうしょう"と言えば富太郎的には、『東京

商工会議所』。東京証券取引所ではありません。)このAさんは、夜の街でよくお目にかかったにも

かかわらず、税理士試験5科目中4科目すでに受かっていて、「あと1科目は老後のお楽しみ」とのたまう

その後の富太郎の資格試験挑戦人生に影響大の人物でした。

 話しを 浜商 に戻しますと、野球部は富太郎贔屓の「白帽子」。1978年の春の選抜で優勝も果たして

いますが、甲子園には2000年の夏以来ご無沙汰です。復活が期待されます。

 浜松商業 は陸上も強く、東京国際大学で箱根で大活躍し、HONDA入社後も、東京オリンピック出場、

ニューイヤー駅伝優勝の 伊藤達彦 選手も 浜商 の卒業生でした。

 陸上といえば、大学で同じゼミだった通称「まかしょう(酔うとお絞りを人に投げつける癖あり)」も

浜松出身で陸上をやっていました。卒業後、S銀行に就職し富太郎と同じ時期に浜松市内の支店に勤務

していて、こちらがあちらの支店に出向くと外出中で、あちらが来てくれると富太郎が外出中と、結局

逢えずじまいで終わってしまいました。ただ、大学を卒業して間もない頃、ゼミのOB会が浜松で開催

され、その時に「まかしょう」が教えてくれた『あさりの酒蒸し』が富太郎は浜松で一番おいしいものと

今でも思っています。浜松のあさりは、大きいんだ、これが。

 食べ物で言うと、まず浜松に赴任してビックリしたのが、「お寿司屋さん」よりも「うなぎ屋さん」の

ほうが多かったこと。浜名湖がウナギの養殖で有名だった影響なのでしょうが、富太郎かいた頃にはすでに

養殖は「うなぎ」から「スッポン」に変わっていました。「スッポン」は横山先輩と転勤のあいさつ回りを

したときに、国民宿舎で食べる機会がありましたが、子供のころ亀を飼っていた富太郎は、手が出せません

でした。 今や有名な「餃子」は、当時は全くと言っていいほど話題に上っていませんでした。

 さらに食べ物がらみで、夏の夜(冬の石焼き芋屋さんのように)、社宅のそばに「わらび餅」を売り
歩く車が回ってきたこと。はじめは何事かとビックリしましたが、そのうち慣れました。
 そう言えば、社宅の少し先にヤマハ野球部の寮がありました(ヤマハ本社は浜松市中区)。
前出の小川君は、大卒後河合楽器(本社中区)を経て、ヤクルトに入団します。河合楽器は2001年に
都市対抗で優勝したのですが、その年の11月に休部してしまいました。中大野球部の清水監督も、
河合楽器のOBです。 ヤマハの旧社名は「日本楽器」。まさに好敵手だったわけです。
 もう一度、話を食べ物に戻します。あと忘れられないのが、商工会の指導員さんとの会合で、福田の

指導員さんが「会長が持って行けと言ったから」といつも大量の『生シラス』を入れた大きなビニール袋を

いくつも差し入れしてくれたこと。
鎌倉あたりでもしらすは有名ですが、福田ものは鮮度がメチャクチャよかった。それにしても量が・・・。

 福田(ふくで)は、現在は合併して『磐田市』の一部になっているようです。ゴン中山が活躍した

ジュビロ磐田の磐田。浜松市の隣の市になります。転勤した当座「いわた」の「た」にアクセントを置くと

地元の人に「わ」にアクセントを置けとずいぶん注意されました。ジュビロの活躍で耳慣れましたが。

 ちなみに、卓球で金メダルを取った 伊藤美馬・水谷隼 両選手は磐田市の出身です。

 富太郎が浜松にいたときに、2002年日韓Wカップが開催され、管内の袋井にある エコパスタジアム で

準々決勝があり、ベッカムのいたイングランドとブラジルが対戦。ロナウジーニョの2得点でブラジルが
勝った夜、浜松駅の周辺をブラジル国旗をかついて、車に箱乗りして走り回っている外国人がいたのを、
色々と書いているうちに思い出しました。 ブラジル銀行の支店で、強盗事件もあったなぉ。
 あれから20年。今年もWカップかぁ。 森保ジャパン(森保監督は、磐田の更にお隣の掛川市の出身、
袋井はそのまたお隣)連続出場できるといいですね。
 でもその前に、『世界平和』の回復を祈念します。1日でも早く・・・。


 朝の冷え込みが緩み、夜明けが
 早くなりつつあるのが嬉しい  朝型人間 富太郎


 フォト/浜松・春華堂の
 『真夜中のお菓子 ブランデーうなぎパイVSOP』

 普通のうなぎパイは食べ飽きて、ブランデー入りの

 これじゃないと、もう。ちょっと高いけど・・・。

 












2022年03月11日