富太郎の日常76 『一橋大学界隈』
2月16日、NHKBSプレミアム「ふらっとあの街 旅ラン10キロ」という番組で、『大学のある街
東京 国立』が取り上げられていました。大学生の 安藤ニコ さんが走りながら、街を紹介していきます。
国立駅の南口をスタートして、一橋大学の西門前で外国人留学生にインタビュー。東京女子体育大学を
経由して、国立音大の付属中高の前を通って、もう一度国立駅南口へ。駅近くの『ロージナ茶房』で昼食。
この『ロージナ茶房』は、今月初めに亡くなった 石原慎太郎 さんが一橋の学生時代に週に4・5日通い、
店内で執筆活動に没頭することもあったとの紹介記事が、亡くなった翌日の新聞に掲載されていました。
石原さんは一橋の学生時代に、「太陽の季節」で、芥川賞を受賞していたのですね。なおかつ、高校・
大学時代ともにサッカー部に所属し、レギュラーだったとか。なんともはやののバイタリティーです。
そんな石原さんの出身高校は、神奈川の湘南高校。1949年に夏の甲子園で初出場、初優勝をしています。
その時の内野手の1年生レギュラーが 佐々木信也 さん。お父さまが湘南高校の監督でした。佐々木さんは
その後、慶応大学からプロの「高橋ユニオンズ(千葉ロッテマリーンズの前身)」で活躍され、引退後は
「プロ野球ニュース」の司会などもされていました。そんな佐々木さんが何かのインタビューの中で、
「湘南高校の1年先輩に、石原慎太郎さんがいて、石原さんがいたサッカー部と、野球部はグランドを
共用していた。」というお話をされていました。石原さんは、甲子園に応援に行ったのでしょうか。
なんか、斜に構えて行かなかったような気がします。
「ロージナ茶房」の現在のオーナーの『選挙の街頭演説を国立駅近くで行った石原さんが、両親に
あいさつするために来店したことも何度かあった。いずれも滞在時間はわずかだったが、店先で石原さんと
両親がうれしそうに話している姿を覚えている。』とのコメントも、新聞に載っていました。
そう言えば富太郎も、だいぶん前に学園祭か何かで一橋に講演に来た帰りの石原さんの姿をチラッと
見たことがあります。いろいろと評価は分かれる方のようですが、富太郎は『義理堅い方』なのではないか
と思っています。
国立には、「ロージナ茶房」のほかに、もう一軒「邪宗門」という名の知れた喫茶店がありました。
たしか、「ロージナ茶房」とは隣どうしだったような・・・。もう閉店してからかなり立ちますが、
閉店時の記憶がないということは、富太郎が地方に単身赴任していた時のことなのかもしれません。
国立駅前にあった大きな「東西書店」が閉店した時には、かなりショックでした。旭通りの超老舗の
おもちゃ屋さん「すずや」さんは昨年。富太郎には縁がなかったけれど、店の前の水槽でフグが泳いでいた
「とらふぐ亭」さんもこの1月に閉店しました。新しいお店もそれなりにできてはいますが、むかしからの
見覚えのあるお店がなくなるのは、ちょっと寂しいです。
一橋大学は、去年から工事をしていて、新しい校舎を建てたのか、木々が少し減ったような・・・。
ちなみに、一橋はテニス部のオガワ先輩の母校でもあります。
最近、BSテレ東の「飯尾和樹の ずん喫茶」
という番組が気に入っている 富太郎
(「モヤさま」「ワカコ酒」「ゆるキャン△」
「古見さん」と、富太郎はテレ東好き。)
フォト/都立国立高校の正門前
甲子園に都立で初めて出場したのが国立高校。
2月21日に国高の前を通ったら、
「入学試験」の看板が出ていました。
富太郎が受験生のころは、都立の試験は
3月に入ってからだったような気が・・・。
国高は、オザキ先輩、かおる君のお姉ちゃん、
コジマ君、みっちゃん等々の母校です。
追 伸
今日、一橋の前を通ったら「入学試験」の看板。
そばにパトカーが止まり、お巡りさんが
立っていました。
1人の行いが、世間を・・・。