富太郎の日常63 『私の東京百景7 千住』
12月に入りました。早いですねぇ。というわけで、久々の「東京百景」です(どういうわけだ?)。
この季節、おでんがおいしく感じられます。テレビで、忌野清志郎の曲と共に、セブンイレブンのおでんの
CMが流れ始めると、いよいよ寒くなってきたなぁと実感します。今年はまだ見ていませんが・・・。
コンビニに行っても、なかなかレジ横のおでんは買えませんが(なんか、恥ずかしくて)、セブンの「おで
んパック」一人前8種入りというのは、もう食べました。ちょっと薄味ですが、美味しかったです。
それが『千住』とどう関係があるかというと、「おでん」ではなくセブンのおおもとイトーヨーカドーが
「北千住が発祥」ということをヨーカドーが上場したときに、うちの父親がさかんに言っていたのを思い出
したからです。今の実家の場所に引っ越してくる前、富太郎一家は足立区『千住橋戸町』の公団アパートに
住んでいました。そんなこともあって、父親はイトーヨーカドーに親近感があったのかもしれません。
というのが、今回『千住』について書いてみようと思った理由です。前にも触れたたかもしれませんが、
忌野清志郎さんは、中学の先輩にあたります。♪『ずっと夢を見て 幸せだったな 僕はDay Drem
Believer そんで 彼女はクイーン・・・』
○ 南千住
♪『北千住のプラットホーム 銀色の改札・・』あいみょんの「ハルノヒ」。ご存じ映画クレヨンしんち
ゃん「新婚旅行ハリケーン」の主題歌です(富太郎は「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」が好き)。
なんで春日部が舞台のクレヨンしんちゃんの歌がというと、地下鉄の日比谷線が、東武東上線に乗り入れて
いて、北千住を通って春日部につながっているからのようです。
そう言えばサラリーマン時代の上司が春日部に住んでいて、夜な夜な北千住の飲み屋街に出没していたとの
噂を聞きました。イシイ先輩、お元気でしょうか。
北千住には、営業店があるので、富太郎も、入院した課長の代わりにハンコを押したり、若い人に審査を
教えに行ったりと、何度も北千住はお邪魔しました(富太郎のいる国立からは、都内で一番遠い・・・。)
店舗そのものは、千住警察の向かいなので、安全ちゃぁ安全なのですが、駅から店までが(昔ながらの)
飲み屋街で、朝の出勤時には、まだ夕べのアルコール余韻が残っている。昼には、道路で300円くらいの
お弁当をあちこちで売っている。かと思えば、喫茶店のコーヒーは500円以上していたというカオス。
営業店にお邪魔すると、(コロナ前だったので)よく懇親会をやっていただいたのですが、千住の場合
会場のお店が、怪しげな呼び込みのお兄さん方がたむろしている、さらにその小路の奥という、なんとも
ディープな場所にあり、慣れない富太郎は、緊張の連続。かつ、帰りが遠いんだ、これが。
でも、とっても楽しかったです。なんか、生まれ故郷に帰ったみたいな・・・。
○ 千住大橋 (京成線)
北千住から、「日光街道」を南に進むと、京成の「千住大橋駅」とクロスします。この駅からすぐの
場所にあった公団アパートに、富太郎は小学校に上がる年の1月まで住んでいました。どのくらい近いか
というと、アパートの窓から、駅のホームの出勤する父親に手を振ってわかるくらい。地図を見ると
このアパートはもう無いようですが。2号棟の一番右の階段の、3階左のドア。エレベーターは当然なし。
お風呂もなく、毎日午後3時に開く、川っ淵にあった銭湯に通っていました。昭和30年代です。
日光街道には、黄色い都電が走っていました(あまり自信はないけど、たぶん・・・)。
で、このアパートから歩いて通っていたのが、「カトレア幼稚園」(「園バス」なんて、当然なし)。
卒園の年の1月に引っ越したので、富太郎は幼稚園中退です。この「カトレア幼稚園」がまだあるのか
調べてみましたが、30年以上前に無くなっているようです。一番近くの「千寿第二小学校」も千寿小学校と
統合されて、無くなっていました。都会故の人口流出?まさか過疎ということはないと思うけど・・・。
もう一つ、このアパートのベランダから、野球場の照明塔が点灯しているのが見えたのが、とてもとても
印象に残っています(富太郎の野球好きは、その頃から・・・)。
○ 南千住
千住大橋駅から、日光街道をさらに南に進み『千住大橋(ブリッヂ)』を渡ると、南千住になります。
川のこちら側(北千住側)は足立区で、あちら側(南千住側)は、荒川区になります。テレビでよく見る
”みやぞん”が野球部で活躍した「荒川商業高校」は、足立区にあるようです。東商足立支部の旧知の指導員
さんにご挨拶に行ったときに、「足立区内には、ここ(北千住)から電車で行くのに、一度埼玉県に出ない
と行けない場所がある。」とおっしゃっていました。ディープです。
その昔、「東京スタジアム」という野球場が、南千住にありました。毎日オリオンズ(千葉ロッテマリー
ンズの前身)が本拠地にしていた球場で、富太郎が住んでいたアパートから見えた照明塔は、ここのもの
です。ものの本によれば、『光の球場』とも呼ばれていたようです。球場のホームラン第一号は、南海の
野村克也。東映フライヤーズには最近話題の張本勲も所属していて、今でも有名な選手たちではありますが
当時のパリーグはあまり人気がなく、親会社(映画会社の)大映の経営難などもあり、1962年の開場
から、わずか15年で閉場となりました。1970年にはロッテ対巨人の日本シリーズも行われたのですが。
残念。
約60年前の記憶を中心に書いたので、多々間違い(?)もあるかもしれませんが、お許しください。
なお、最近の北千住界隈は、大学がいくつもできて、街の雰囲気も変わってきているようです。
北千住に仕事で行っていた頃には、駅前の
丸井の地下にあるドトールで、
朝勉をしてから出勤していた 富太郎
(お客さんがちょっと個性的な感じでした。)
フォト/通っていた「カトレア幼稚園」で
制服につけていた園バッヂ(のデザイン)
現物が家のどこかにあるはずなのですが、
見つからないため、インターネツトの画像を
拝借しました。