富太郎の日常54 『引退』
10月に入り、今年も残すところあと3か月。
菅総理が退任したり、横綱白鵬が引退したり。ルパン三世・次元大介の声優さんも、交代するそうです。
プロ野球のペナントレースも終盤戦に入ってきましたが、ベテラン選手の引退記事が連日のように
スポーツ面で見かけるようになりました。まあ、記事になるのは、それなりに実績を残した選手ですが。
時代の流れとか、世代交代とか、毎年のことながら、秋の深まりとともに、ちょつと寂しい季節です。
そんなわけで、今回は富太郎の『引退』に関する、あれやこれやです。
〇 第58代横綱 千代の富士 (愛称 ウルフ)
1991年5月引退。36歳。幕内優勝31回。通算1045勝。現役生活21年。
引退の記者会見で、「体力の限界」と切り出した後、しばらくタオルで涙をぬぐい、「気力もなくなり
引退することになりました。」と語りました。小さな体で、大鵬、北の湖とともに、昭和の大横綱だと
思います。その取り口も、正攻法でいわゆる「横綱相撲」でした。
時代なのか、国民性の違いによる横綱についての価値観の違いなのか、「最強」白鵬が新聞の時事川柳で
『引退をかちあげ張りてで惜しまれず』と言われてしまうのとは、ちょっと違いました。
ちなみに、白鵬は前人未到の幕内優勝45回だそうです。当然賛否両論あるのでしょうが・・・。
〇 世界のホームラン王 王 貞治
1980年11月引退。40歳。通算本塁打868本。現役生活22年。
(この月の初めに、長嶋監督(第1次)が、事実上解任されています。)
前にも書きましたが、前年に今も発行されている「number」というスポーツグラフィック雑誌の
創刊第一号の表紙は、王選手の一本足打法の写真だったことを鮮明に覚えています。
「number 1」と大きく書かれていたので、それが雑誌の名前だと、第2号が出るまで思っていました。
引退したこの年も、打率こそ2割3分台でしたが、ホームランは30本も打っていました。
今シーズン、ホームランを30本打っている選手が4人位しかいないことを考えると、もったいない気も
しますが、王さん自身は『口はばったい言い方になるかもしれませんが、王貞治のバッティングができなく
なったのが一番の理由です。』とのコメントをされたようです。一流選手のプライドが感じられます。
ただ、富太郎が長嶋派だったせいなのか、どうなのか、王選手の引退セレモニーに関する記憶が、
まったくありません。ヤクルトの鈴木康二朗投手から、世界新記録のホームランを打った場面の記憶は、
ありありと覚えているのですが・・・。
〇 長嶋茂雄 (通称 ミスター)
1974年10月14日引退。38歳。記録より、記憶に残る男。現役生活17年。
誰もが言うのは、「ここで打ってくれぇ!という時に、必ず打ってくれた!!」
この日は、対中日のデイゲーム。通算444本目のホームランをかっ飛ばします。
試合終了後、涙をぬぐいながら、フェンス沿いに場内一周。陽が暮れて、スポットライトに照らされながら
あいさつで言ったのが『我が巨人軍は永久に不滅です。』「ナガシマ~!」の絶唱が球場のそこここから
響き渡ります。 (翌年監督として、リーグ最下位に沈んだことは、言いますまい。)
実はこの10月14日。「長嶋の引退試合があるから、帰らせろ。」と同好会で言ったら、女子部員から
「私だって、来日するジュリアーノ・ジェンマが見たいのを我慢しているんだからね。」と猛反発を
受けたことをありありと覚えています。「なぁにが、ジュリアーノ・ジェンマじぁ!」それ以来、
いや、元々、いい男は嫌いです。って、関係ないか。
オリンピックの開会式をはじめ、丸や中田の激励にジャイアンツ球場を訪れたという報道を、最近よく
目にするようになりましたが、逆に、ちょっと心配になってしまいます。あまり、無理はなさらずに。
何時までも、お元気でいてください。
仮に今年も不合格でも、10年を機に
司法書士試験の勉強から引退しようかと
悩んでいる 富太郎
♪「それでもいいの。近頃少し 司法書士
試験に 飽きたところよ・・・UFO」
フォト/ 大学通りのベンチ
現役を引退したと思われる昭和の
おとッつぁん方が、よく座っています。
ちょっと、所在なげなような・・・。