富太郎の日常52 『注射』
コロナのワクチン注射を打ってもらってきました。
富太郎は痛くなかったのですが、別の先生に打ってもらった奥は、思わず「ウッ!」と言ってしまい、
看護師さんに『痛かったねぇ。』と慰められたらしいです。
♪「運がいいとか、悪いとか。人は時々口にするけど・・・」
市の大規模接種場は、選挙会場のようになっていて、非常にスムーズに1回目を終えることができました。
お医者さん、看護師さん、スタッフの皆さんに大々感謝です。ありがとうございました。
そんなわけで、今回は『注射』についてのあれやこれやです。
物心ついて最初の注射のイメージは、小学校就学前に何かの折に母親と保健所へ行って、そこに展示された
メチャクチャ太い注射を見て、「ああ、注射は痛そうだ。受けたくない。」と強く思った記憶です。
小学生の頃には、好きな番組を見ていて「来週、この番組を見るまでに、予防接種があるんだぁ。」と
暗ぁい気持ちになったことを、今でも思い出します。基本的な心持ちは、今でもあまり変わりません。
また、3週間後に2回目があって、その後には「インフルエンザの予防接種」も。嗚呼。
奥は「今年は、インフルエンザはいいかな。」とユイさんみたいなことを・・。インフルうつさないでね。
まっさん(さだまさし)の若いころの歌に『第三病棟』というのがあります。
まっさんは若いころかなり無茶な生活をして、入院生活を送っていた時期があったようです。
♪「・・・お見舞いの苺が見える。やがて注射はいやだと泣き声。いずこも同じと君が笑う。」
「注射嫌い」は世代を超えて、多数有力派と思われます。
この 君 は看護師さんです。札幌でテニススクールに通っていた時に、ヤヨイちゃんという看護師さんと
ご一緒させていただきました。ヤヨイちゃんは小児科担当の時には、「痛いよ、痛いよぉ!」と言って
注射をすると嬉しそうに語っていました。「痛い思いをすると、やっちゃいけないことをやらなくなる。」
んだそうだけど・・・。 ヤヨイちゃんの娘さんも、看護師さんになる勉強をされていました。
「痛いよ、痛いよぉ!」は、世代を超えて引き継がれているのでしょうか?
「注射嫌い」とか言っていられないのが、病気になったとき。
富太郎の好きな映画ベスト10に入る、 住野よる さん原作『君の膵臓が食べたい』。ヒロイン 山内桜良
(浜辺美波)は余命1年。『桜良の死ぬまでにやりたいこと』の1つが「何でもない男の子とお泊旅行に」
を実現するため クラスメイト君(北村匠海)と福岡へ。手違いで超高級ホテルのスィートルームに
一緒に泊まることになってしまうのですが、あるきっかけでポーチの中の「インスリン注射器」を
見てしまうクラスメイト君。元気で明るく振舞っている 桜良 の体調と心の奥底を知ってしまいます。
クライマックス近くで、クラスメイト君が桜良のお母さんに言う「おばさん、もう泣いてもいいですか?」
の場面で、富太郎は必ず泣きます。
この大好きな映画を、こないだの東京オリンピック開会式の裏番組でやっていたのですが、
さすがの富太郎も見ませんでした。 視聴率取れなかっただろうなぁ。 なんか残念!
そう言えば、DISHの「猫」は、あいみょんが、この映画を観て感動して作ったのだとか。
そういう事を意識したうえで聞くと、「未練たらしい」と思っていた歌の、味わいが全く変わります。
前回に続いてキムタク登場。作品は『CHANGE』で、今度は30代の総理大臣役。
長野で小学校の先生だった次男坊の主人公が、政治家であった父親とその秘書の長男が同時に亡くなり、
母親の頼みで父を次いで代議士となり、派閥の力学で総理大臣になってしまう(させられてしまう)お話。
2008年のフジ「月9」です。
この作品と「注射」の関係ですが、ストーリー的には重要な場面ではないのかもしれませんが、
HEROの久利生検事同様、現地にも足を運んだり、何事にも全力で取り組んだ結果疲れがピーク超に。
そのような状況で議員会館の医務室で、「(ニンニク?)注射」を女医さんに打ってもらっていると、
隣で反対派閥の党の重鎮の秘書も、注射を打ってもらっていたというシーン。どんな会話をしたかという
セリフは憶えていないのですが、妙に印象に残っているんです。
政治家はみんな総理になりたいんだろうけれど、総理って大変・・・。秘書も大変。
今回お辞めになる総理も、百何十日連続勤務だったとか。注射は打っていたのでしょうか。
和田誠さんの映画監督デビュー作、
『麻雀放浪記』についても書きたかったのですが、
左肩に違和感が・・・。
残念ですが、また別の機会にということで。
口の中を噛んで、食事時に沁みて痛い 富太郎
また、太った?
フォト/「副反応がつらい猫」とツイートされ
40万超いいねを獲得しているそうな。
注射翌日の富太郎も、まさにこんな感じ。
追 悼
箱根駅伝解説者の 碓井哲雄さん が11日にお亡くなりになりました。
現役時代は中大の大会最多6連覇に貢献し、コーチとしても(富太郎の学生時代は)
低迷していた母校を、シードの常連に再建いただきました。
お正月に、碓井さんの解説が聞けなくなるのは、とても残念で寂しいです。
後輩たちには、是非、シード権を奪還してもらい、墓前に報告してもらいたいものです。
ご冥福をお祈りいたします。