富太郎の日常42 『鬼に金棒』
オリンピックが近づいてまいりました。
富太郎、人生2回目の『東京オリンピック』です。
賛否両論ありますが、これまで頑張ってきた世界のオリンピアンに、テレビのこちらからではありますが、
精一杯の声援を送りたいと思います。(せっかく当たっていたハンドボールのチケットが・・・。)
聖火リレー(?)も、全国を巡り、最後の東京に入りました。
そんな時新聞記事になったのが、前回1964年東京大会の時の主将、体操の 小野喬 さんです。
小野さんは現役時代、鉄棒で圧倒的な強さを誇り、52年のヘルシンキから4大会連続で五輪に出場し、
計13個のメダルを獲得したとか。そして言われたのが、『鬼に金棒、小野に鉄棒』。座布団1枚。
上手いことをいうものです。
今回も鉄棒に絞って出場する内村選手。アテネでは「栄光の架け橋」冨田選手。忘れられないのが、
中国選手に先に10点出され、10点満点を出さなければ金メダルを取れない状況の中、「10点返し」で
見事金メダルを獲得した「鉄棒の森末」選手。鉄棒だけでも、これだけいます。まさに、「お家芸」。
この「○○の××」という表現は、いろいろな場面でお目にかかります。
10点返しならぬ「倍返し」で一世を風靡したのは、半沢直樹ですが、富太郎にとって「半沢」といえば、
『やりの半沢』。札幌オリンピックの時のアイスホッケー日本代表のフォワードです。小さな体で、
右のフェンス沿いを一直線に相手陣内に攻め込んでいく、将棋の香車(やり)に例えられました。
箱根駅伝だと「山の大東」。最近は『山の神』という言われ方をされますが、神様ってそんなに何人も
いるものかしら。大東文化大学は、毎年山で強かった。
今年の箱根はアンカー10区で大逆転があり『逆転の駒沢』と言われました。
箱根まで、あと半年。あー楽しみ。(その前に予選会があるけど。頼むよー!)
高校野球で逆転と言えば『逆転の報徳』。いや「逆転のPL」ではないか、とご指摘の向きもあるかも
しれませんが、PLの甲子園初登場は昭和37年春。その前の年の36年夏に倉敷工業相手に、
延長11回表に6点とられながら、その裏に6点を取り返し、12回にサヨナラ勝ちをしたという、
伝説の大逆転を演じ、『逆転の報徳』の呼び名は確立していました。
あと、高校野球で好きなのが、『呼べば応えるやまびこ打線』。徳島県 池田高校。
攻め達磨、蔦監督。全国制覇の数年前に、春の選抜に11人の選手で出場し、『さわやかイレブン』と
称されていました。当時、NHKの日曜日午前11時くらいから「スポーツアワー」という番組を
やっていて、この選抜に出場する池田高校を取り上げ、甲子園に出発する学校関係者に監督の奥様が、
「お父ちゃんにあんまりお酒飲ませんといて。」と言っていたのが、何故か妙に印象に残っています。
プロ野球に目を転じると、有名な「神様、仏様、稲尾様」。これは今でも、名前を変えて時々、
使われています。あと、出色なのが、『権藤、権藤、雨、権藤』。雨の日以外は、毎日、ピツチャー
『権藤』。年間30何勝し、その後、横浜で監督もやりました。ベンチで小首をかしげながら、
苦虫をかみつぶしたような顔をして、采配してました。富太郎的には、「折れ帽子の権藤」。
帽子のツバを真ん中のところで、山折りするのがトレードマーク。
最近ラッパーみたいな帽子の被り方をしている選手が増えましたが、富太郎的にはうーん。
メジャーでは、「ゴジラ松井」もすごかったけど、「ゴジラ」とか、何かにたとえなくても名前だけで
大物であることがわかったの走りが「イチロー」。引退間際の白髪頭が、ちょっと寂しかった。
そして今を時めく「オオタニサン」。なんかすごすぎて、マンガだったら『嘘くせー!』と読むのを
止めてしまいそう。何処まで行ってしまうのでしょうか。ケガが心配ですが、余計なお世話?
そして、もはや名前すら出さなくてもわかるのが、『ミスター』といえば、長嶋さん。
『世界の王』も偉大でしたが、富太郎は、長嶋派。
何故?と言われると・・・。物心ついたころからなので、考えたことがありません。。
オリンピックも、高校野球も、プロ野球も、
みんな頑張れ! 富太郎はスポーツ大大大好き!!!
まだ、問題を解いている夢を見る 富太郎
フォト/アイス「ホームランバー」の当たり棒
小学生の時に、野球の練習で差し入れて
もらったときに当たって以来、50年
以上ぶりに当たり棒を見ました。
当てたのは、奥だけど・・・。
今は、マルチパックで、当たるともう1本
ではなく、オリジナルTシャツがもらえる
ようです。