富太郎の日常290 『 5月のバラ 』

 ♪「 五月 この僕が帰る まばゆい五月 紅いバラは 思い出のバラは 君の庭に咲くだろうか・・」

(作詞:なかにし礼 作曲:川口真)。 いろいろな歌手にカバーされて、元歌が誰かも判りませんが、

印象深いのが、ブレンダ・リーさんが来日した時にカバーしたもの(「思い出のバラ」)。たぶんラジオで

聴いて気に入ったのだと思いますが、唯一買った洋楽のレコードでした。「思い出のサンフランシスコ」も

入っていたけれど、あとは残念ながら失念。 で、5月なので『バラ』です。

 ◯ 君はバラより美しい

 1979年の カネボウ化粧品 のキャンペーンソングで、布施明さんの歌が大ヒットしました。 翌年、CM

に出演していた オリビア・ハッセーさん と結婚という、バラ色の流れ(後に離婚)。 そんなオリビアさ 

ンは、当時『ロミオとジュリエット』のジュリエット役で売れていましたので「なぜ 布施明 と!?」という

のが、偽らざる気持ちでした。 さて、当時流行った問題です。『ロミオとジュリエット。どちらが早死に

でしょうか?』 答えは『ジュリエット』なのですが、このシェイクスピア劇の内容。親に反対されて結婚

できない若い男女がひと芝居打つも、それが互いに上手く伝わっておらず、薬で仮死状態になったジュリエ

ットを見て、本当に死んだと思い悲観したロミオが服毒自殺。 仮死から目覚めたジュリエットが、ロミオ

の短剣で後追い自殺。 時間的には、先に死ぬのはロミオですが、実はロミオはジュリエットよりも2歳年

上なので、「早死に」なのはジュリエットと。 最近は「シェイクスピア」も「ロミ&ジュリ」も、あまり

目にしなくなった(富太郎だけ?)ので、この問題そのものが意味不明かもしれません。 舞台は北イタリ

アのヴェローナ。 ジュリエットの家は、観光地になっているらしいですよ。 あの、バルコニーも。

 残念ながらオリビアさんは、昨年12月にお亡くなりになりました。 73歳でした。

 ◯ 作詞:阿久悠 作曲:都倉俊一

 大ヒットを連発していたお二人。 バラにまつわる歌といえば・・・。

 『カルメン’77』1977年 ピンクレディー ♪「 私の名前はカルメンです ああ 勿論 あだなに

決まってます バラの花 口にして踊っている イメージがあるというのです ・・・」 イメージなので

5月(初夏)の季語としてはちょっと弱いと、夏井先生はおっしゃるかもしれません。 それにしても、

ピンクレディーブームは、凄まじいものがありました。ヒット曲は、ほぼこのお二人の作品。 『富太郎の

日常』でも時々登場させていただく♪「 UFO・・・」も、もちろんです。 UFOといえば、『ホット

スポット』の放送が終わってから1か月以上たちますが、「聖地巡礼」でロケ地となった喫茶店(「モンブ

ラン」という実名で登場していた)が大変な賑わいで、平日でも2時間待ちなのだとか。 宇宙人のタカハ

シさんはいないはずなのだけれど。

 ◯ 百万本のバラ

 昭和から平成になった頃、職場の行事で 秋田市文化会館 に『加藤登紀子コンサート』を聴きに行きまし

た。 百万本のバラは発売からそんなに時間が経っていなかったと思います。 加藤登紀子さんといえば、

「知床旅情」に「琵琶湖周航の歌」。 ♪「 我は湖の子 流浪の 旅にしあれば しみじみと・・・」 

もともとは三高(京大)のボート部の歌だそうですが、最近になって加藤さんが東大のボート部員だったと

いうことをテレビでカミングアウトされていました。 あまり運動をされるイメージは無かったのですが。

 その東大のボート部と、一橋のボート部の定期戦(対抗競漕大会)が、4月27日に開催されました。

第77回とのことなので、もしかしたら加藤さんも出場されていたかもしれません。

 ◯ 情熱の赤いバラ

 一見、西城秀樹 風ではありますが、歌っているのはアニメ『あたしンち』(作者:けらえいこ)の主人公

のお母さん。 西城秀樹ファンで、調子がいいと♪「情熱の赤いバラ そしてジェラシー・・・」と口ずさ

みます。(秀樹も「バラの鎖」という曲を出していますが、歌詞にこのフレーズは出てきません。)どうも

『ザ・タチバナーズ(母)』としてCDも出していたみたいですよ。 で、このお母さんの夢(野望)は、

「書道で天下を取る!!」。 『あたしンち』が、新聞の日曜版に連載が開始されたのが、1994年なので、

当時高校生だった主人公の (たちばな)みかん も、いまや40代後半。 お母さんは、ちょい上の同世代?

 今回も、話の展開があちこち バラ バラ で、すみませんでした。  これで、ク ローズ です。


 「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」を視て、

 向田邦子さんのエッセイが大好きになった 富太郎

(後日テレビドラマにもなった『夜中のバラ』。

 ゲーテの詩に、シューベルトが曲を付けて、明治の

 訳詞家 近藤朔風 の日本語の歌詞♪「 童は見たり

 野中の薔薇・・」の「野中」を「夜中」と間違えて

 覚えていた、という所から話が膨らんでいきます。

 『眠る盃』も「巡る」と「眠る」で同じきっかけ。

 日本語が、生き生きしていました。 時代かなぁ。



 フォト/一橋大学構内野球場での、東都大学4部

 一橋 対 科学大 の試合をバックネット裏から撮影。

 高偏差値の国立大学どうしの対戦(「科学大」は

 昨年「東工大」と「東京医科歯科大」が統合した

 大学)。 各打者の最初の打席では、打順、ポジ

 ション、名字の他に出身高校がアナウンスされて

 いました。 両校に「国立高校」出身の選手が。

 一橋の1番指名打者、兼ピッチャーは「県千葉」

 出身でした。 (失礼ながら)レベルは、思った

 以上でした。 硬球を木製バットで打つ打球音は

 とても心地良かったです。 ただ客席のベンチは

 なく、立っているのがしんどくて、4回で帰って

 きました。 観衆ざっと30人(富太郎調べ)。



 

  追 伸

 受験票が届きました。

 今年も会場は、(アウエーの)早稲田大学。

 もう毎年なので、勝手知ったる他人の家状態。

 ただ、トイレが少ないんだよなぁ。 年寄りには。




2025年05月09日