富太郎の日常289 『 1970年の こんにちは 』
大阪・関西万博が開幕し、賑わっているようです。 今回のオフィシャル・テーマソング『この地球の続
きを』は、♪「こんにちは 桜咲く こんにちは 幕が開く・・・」という歌詞。 ん? 何か聞き覚え?
と思っていたら、コブクロの小渕さんが『前回の「世界の国からこんにちは」にリスペクトとオマージュを
込めました。』と歌番組で説明していました。 ♪「・・こんにちは こんにちは 世界の人が こんにち
は こんにちは 桜の国で 1970年の こんにちは・・・』 あれから55年かぁ!
◯ 三波春夫で ございます。
「世界の国からこんにちは」と言えば、三波春夫さんがパッと思い浮かびますが、各レコード会社の競作
で、坂本九さんや吉永小百合さんも歌っていました。 1964年の東京オリンピックの時の「東京五輪音頭」
♪「・・4年たったら また会いましょと かたい約束 夢じゃない ヨイシャコーリャ 夢じゃない 」
も競作で、橋幸夫さん、三橋美智也さん、そして坂本九さんも歌っていましたが、こちらも、やっぱり
三波春夫さん。 何でしょう。 なんかパッと明るく、幸せな気分になる。 「お客様は、神様です。」
というリップ・サービスだけではなく、ほんとうに「日本を元気にするんだ。日本は頑張っているんだ。」
というオーラがあった気がします。 ライトも他の歌手の人よりも、余計に当たっていたような・・・。
歌詞も、シンプルで耳に馴染んでいました。 当時「レッゴー三匹」というお笑いトリオが、よくテレビに
出ていて、ツカミで『じゅんでーす 長作でーす 三波春夫でございます(両脇からどつかれる)』という
自己紹介が受けていました。 三人目(名前がわからない)は、メカネで、三波さんとは似ても似つかない
ネタだったわけですが。 三波さんのライバルと言えば、物まね四天王(って今も言うのでしょうか)清水
アキラが『村田だっ!』とやっていた 村田英雄 さん。 こちらは黒色メインの着物で渋く決めていました。
♪「 皆の衆 皆の衆 嬉しかったら 腹から笑え 悲しかったら泣けばよい 無理はよそうぜ 体に
悪い・・・」(1964年『皆の衆』) こちらもシンプルな歌詞で、まさに「おっしゃるとおり!」
◯ 家族 (「民子」三部作)
「男はつらいよ」の寅さんシリーズが始まった2年後の、1970年に さくら役 の倍賞千恵子さん主演
で、山田洋次監督が制作したのが「家族」という映画。 高度成長期に故郷の長崎の炭鉱が閉山となり、
北海道で酪農を始めるために一家で移転するというロードムービーでした。 義老父を広島の夫の弟の所に
預ける予定で、桜の季節に一緒に長崎を出発しますが、弟の家庭環境から結局義父も北海道に行くことに。
途中大阪の万博会場に立ち寄り(新幹線の時間の関係という設定で、入場門前の大変な人混みだけ映る)、
東京の上野で一泊。ここで赤ちゃんが熱を出し急死。さらに電車を乗り継ぎ、落ち着き先の北海道の中標津
にたどり着きますが、地元の人が開いてくれた歓迎会の夜に老父が亡くなるという・・・。 この老父が、
帝釈天の御前さま役の 笠智衆 さん。 凄い老人に見えましたが、年齢的には64、5で今の富太郎よりも
若かったのか。 その後子牛も生まれ、新しい家族も。 で、めでたし、めでたし、の主人公が 民子 さん。
2作目の 民子さん(やはり倍賞千恵子さん)は、1972年の「故郷」。 こちらは、瀬戸内の砂利運搬
船業者が、大手の進出で立ちいかなくなり、広島の造船所に勤めに出るために、故郷を離れるというお話。
「家族」の義理の弟の勤め先が、広島の造船所でした。 義理の弟を演じていたのは、前田吟 さん。
3作目の 民子さん(倍賞千恵子さん)は、1980年の「遥かなる山の呼び声」。北海道中標津で牧場を
営む未亡人の民子さんのもとに、殺人を犯して逃げている男性がやって来て。 この男性が 高倉健 さん。
牧場での暮らしに馴染んできたときに、警察が逮捕に来て列車で連行されていく。 その列車の中で 民子
さんが黄色いハンカチを渡します。 三部作はこうなりますが、1977年の「幸せの黄色いハンカチ」で
殺人を犯して刑務所を出た男性が、夕張の離婚を告げた奥さんの所に行くと、鯉のぼりの竿に大量の黄色い
ハンカチが括られていたという有名なエンディングで、待っていた奥さん役が 倍賞千恵子さん。 ただし、
役名は 光枝さん でした。 健さん、カッコよかったぁ。 なんであんなに、北海道が似合ったんだろう。
◯ 遠くへ行きたい
1970年というのは、富太郎が中学校に入学した年なのですが、思えば小学校の頃に見た記憶があり
今でもやっている番組がいくつかあります。「長寿番組」。 やっぱりNHKが多いでしょうか。「あんぱ
ん」を毎日楽しみに見ている『連続テレビ小説」。「べらぼう」の『大河ドラマ』。戸田恵子さん(同じ歳
)も出演していた『中学生日記』。『おかあさんといっしょ』『みんなの歌』『テレビ体操』『NHKのど
自慢』『きょうの料理』。 民放では『笑点』『サザエさん』『(東芝)日曜劇場』『(シオノギ)ミュー
ジックフェア』『キューピー3分クッキング』。 そしてこの年に始まったのが、今でも日曜日の早朝に
放送されている『遠くへ行きたい』。スポンサーは『浅田飴』で、永六輔さん ご本人が出演。 始まった頃
は、毎週旅に出ていたのは 永さん でしたが、スタッフと喧嘩をして降番。ただ、番組は今も続いています。
♪「知らない街を 歩いてみたい どこか遠くへ 行きたい」の主題歌(作詞:永六輔、作曲:中村八大)
は、当初は ジェリー藤尾 さんでしたが、その後 ダ・カーポ をはじめ、色々な方が歌っています。
永さんといえば、ラジオで富太郎が小学生の頃から『誰かとどこかで』という番組をやっていて、スポン
サーは『桃屋』。 番組当初からアシスタントはアナウンサーだった 遠藤康子 さん。 あの気難しくて、
喧嘩っ早い 永さん と、永年コンビを組んで番組が続いたのも、 遠藤さん あっての事だったと思います。
遠藤さんは、現在も森本毅郎さんのラジオ長寿番組「スタンバイ!」で、アシスタントをされています。
最近、印刷物のページが上手くめくれないことが
多くなった(気がする) 富太郎
(奥は「指先の潤いが無くなってきているんだよ。」
といいます。 確かにドラマなんかで、指をなめて
湿らせてお年寄りが紙をめくるシーンを見るけれど
・・・。なんだかなぁ。 最近富太郎が気に入って
使っている100均の『フィルムタイプ 極細 蛍光
半透明ふせん』を1枚ずつ剥がすのにも、大苦戦。
あー、やだ、やだ。 歳は取りたくないものです。)

フォト/1970年 万博の、記念メダル。
多分、親戚で唯一当時の万博に行った祖母のお土産。
裏面に「S.45.5.26」と「ローマ字で名字」
の刻印。(「月の石」の展示のあった) アメリカ館
は長蛇の列で入れなかったとの説明がありました。
でも、何故、インド館?
祖母は30年ほど前に他界しているので、謎のままです。
蛇 足
5月1日の朝刊に『インド館きょう開館』という記事が
載っていました。 予約不要で入場できるそうです。