富太郎の日常288 『 暁の超特急 』

 朝の連ドラ「あんぱん」が楽しいです。 俳優陣も豪華だし。 先週、「パン食い競争」の商品のラジオ

を譲ってもらった主人公が家に持って帰って、家族みんなで聴こうとスイッチを入れたら流れてきたのが、

『世界の強豪を圧倒する風のような走りに、多くの観客を魅了・・・』という 吉岡隆徳選手 の練習風景の

実況。 主人公の妹が『お姉ちゃんは 女 吉岡や』と、パン食い競争で男たちに勝ったのに、女性には出場

資格がないと失格となった姉を称えます。 そして主人公は、師範学校で体育教師を目指すという流れに。

 この吉岡選手は、のちに1932年(昭和7年)のロス五輪、陸上100mで6位に入賞し、『暁の超特急』と

呼ばれました。 そんな吉岡さんは、富太郎の住む街にも縁が有るので、周辺の話題も含めてご照会。

 ◯ 吉岡さんの来歴

 吉岡さんは、1909年(明治42年)の生まれで、東京高師(今の筑波大)を卒業され、陸上の短距離選手

日本代表として、オリンピックやアジア大会で活躍されました。 引退後は、中大陸上部の監督、リッカー

ミシン陸上部の監督等を歴任。 東京オリンピックの陸上競技のコーチとなり、晩年は東京女子体育大学の

教授も務められました。 リッカーミシン(後述)は、当時、立川市曙町に、東京女子体育大学(後述)は

当時も今も国立市富士見台にあり、2つの地点間は2㎞弱、歩いても20分くらいしか離れていません。

 という事からすると吉岡さんは、立川か国立にお住まいだったのではないかと、富太郎は勝手に想像して

おります。 そして、1984年(昭和59年)にお亡くなりになるのですが、亡くなったのが『多摩蘭坂』を

登った先にある「都立府中病院(現:多摩医療総合センター)」とのことなので、尚の事思うわけです。

 ◯ リッカーミシン

 1948年に立川でミシンの生産を開始したメーカーで、立川の「立」を「リツ」と読み「リツカワ」から

「リッカー」と名付けられました(諸説あり)。 1984年に業績不振で倒産しましたが、スポーツに非常に

力を入れていて、実績も残した企業でした。

 吉岡さんが監督をされていた陸上部は、昭和39年の東京オリンピックに10人の選手を派遣。 なかでも、

女子80mハードルの 依田郁子選手 は5位入賞と活躍され、市川崑監督の記録映画でも、ヘアバンドをして

両こめかみには絆創膏、口笛を吹きながら黙々とアップをする姿が、BGMなしで映し出されていました。

 また男子も、今のニューイヤー駅伝の前身の大会で3度優勝。 箱根駅伝中大6連覇に貢献し、東京オリ

ンピック3000m障害代表で、長年箱根駅伝の解説や東京国際大学の監督も務められた 横溝三郎さん も、

所属選手でした。

 野球部も都市対抗の代表になるなど強豪で、1980年南海のドラフト1位 山内和宏投手。 阪神のエースだ

った 中西清起投手 (1983年ドラフト1位)。 富太郎が印象深いのは、1976年の選抜優勝投手、広島・

崇徳高校の 黒田真二投手。ドラフト1位指名されながら、希望球団ではなかったため社会人野球に進みます

が、退社。しばらくしてリッカーに入社し、後年ヤクルトへ。思うようには活躍できなかったようですが。

 グラウンドのあったあたりは、富太郎が小学生の頃自転車で徘徊していたあたりのはずですが、近くに

あった都立立川短大のグラウンンドとごっちゃになっていて、記憶が曖昧なのが残念。でも、あのあたり。

 ◯ 東京女子体育大学

 国立が舞台の『謎解きはディナーのあとで』のなかでは、もと女子大の「私立カトレア大学」として登場

します(たぶん)。 ちなみに一橋大学は 七ッ橋大学 です。 沢山のオリンピック選手を送り出しています

が、新体操の 山崎浩子さん、秋山エリカさん。ソフトボール北京五輪金メダリスト 佐藤理恵さん。忘れちゃ

いけない。東京五輪おりひめジャパン最年長の 藤井紫緒さん 等々。現役選手のお姉さんたちが、いろいろな

スポーツ教室の先生をやっていてくれて、うちの体育会系1号2号も、お世話になりました。 かつては、

大学女子駅伝で優勝したこともありましたが、最近はトラックよりもフィールド競技中心でしょうか。

ハンドも、大阪体育大学 一強だし、残念。 学生さんは、立川国立界隈では、雰囲気で一目でわかります。


 急に暑くなって、日差しも強くなり、今年も

 日焼けが始まった       富太郎

(受験票に貼るのに撮った証明写真の自分の顔に

 びっくり。 夢で問題を解いているのも、例年

 より早かった気がします。 模擬試験の結果は

 ・・・「まあ、まあ」?)

 

 

 フォト/東京女子体育大学の陸上グラウンド

 『怪しいじじい』と摘まみ出されないかと、

 ドキドキしながら撮影。

  学生の頃、『70歳の吉岡さんが、東女体大の

 大運動会で100m 15秒1 の記録を出した。』

 との記事を読んで、「お年寄りなのに凄いな。」

 と思った記憶がありますが、自分がほぼその歳に

 なってみると、「100mを全力疾走できるなんて

 信じられない!」と驚き数倍増です。 凄すぎッ。






2025年04月25日