富太郎の日常219 『 三多摩原人 』
「孤独のグルメ」の原作者、久住昌之 さんのエッセイ『東京都三多摩原人(集英社文庫)』が新聞に紹介
されていて、題名にも惹かれて、さっそく読み始めました。 久住さんは1958年生まれ(1つ下)で、生ま
れてからずっと三鷹市に住んでいるのだそうです。 富太郎も小学校にあがる前に立川に越してきて、まあ
「準三多摩原人」として、かなり近い感覚で幼少期を過ごしました。 少ぉし違うのは、立川が23区から
かなり離れているのに対して、三鷹が23区の杉並や世田谷と接していること。 23区に対して、やけに
違いが強調されています。 例えば『23区の中の子供たちとは、育っていく過程での映画や映画館との関
わりが全然違ったんじゃないか(P58)』。 『三多摩の子供はワイルドだった(P75)』。 等々。
また、『ユーミン(八王子)も三多摩原人。東京人ではない。(P62)』。『忌野清志郎(国分寺)も
三多摩原人。東京人ぶらない(P63)』。 「東京人」の定義は出ていないけれど、なんか分ります。
それにしても、この本の中で 久住さん が多摩のあちこちを歩き回っていたのが10年ほど前。毎回すごい
距離を歩いているけれど、今も健脚は健在なのか? 同世代として じじい富太郎 の気になるところです。
◯ 国分寺崖線
本の第2話に出てくる「国分寺崖線(こくぶんじがいせん)」。立川から大田区まで続く、かつて多摩川
の流れが作った 崖 の連なりな訳ですが、富太郎の家のそばも通っていて、忌野清志郎の歌で有名になった
多摩蘭坂も、この崖の坂道です。 富太郎の入学した小学校(訳あって国分寺市)は、この国分寺崖線の坂
を上がった所にありました。 人口が増えて、新設小学校ができたので、富太郎はそちらを卒業したのです
が、この新設校は、崖のすぐ下でした。進学した中学は崖の上。校歌♪「・・・希望の丘に建つは学び舎」
この中学では、毎年冬になると、駅伝大会があり、4人1組でチームを組んで近くの路上を走るクラス
対抗。で、校外に走り出て、まずは崖の坂をくだり、崖に沿って走った後、崖の急な坂道を上るというミニ
箱根駅伝の5・6区みたいなコースで、後半の登りのきつかったこと。 クラス対抗なので、みな真剣で
公道に出るまで、道の両側に生徒が並んで応援をするのだけれど、富太郎が走っていたら、クラスの女子に
「ダメだわ、富太郎。全然余裕がない。」とバッサリ。聞こえてるんだよぉ。ほっといてくれ。 それでも
急坂を上っている時に、安全確保で立っていた若い女性の音楽の先生に『2年生、頑張れ!』と励まして
もらった時には、元気が出ましたよ(富太郎のクラスが音楽を教わっていたのは、「ポン太」というあだ名
の定年前の男の先生、というのは前にも書きました。)。 3年になると、交通事情のせいか、近所からの
苦情のせいか、多摩湖でのマラソン大会になってしまい、駅伝はこの年限り。 ちょっと悲しかったなぉ。
そして、高校へ行ったら、毎年多摩湖でマラソン大会。 とんでもなく、悲しかったなぁ。
◯ 神社
『孤独のグルメ』の主人公 井之頭五郎さん は信心深いのか、神社仏閣を見るとお参りしているようです。
原作者の 久住さん も、きっと信心深いのでしょう。 さっき書いた駅伝大会で崖を下って曲がるところに、
『神明社』という神社が、崖に沿って建っていました。瓦に葵の御紋があったような・・・。 この神社の
ある道と、30メートルくらい離れて平行に走っているバス通りが「弁天通り」。道沿いに『下弁天』と『
上弁天』。入学した小学校の坂の下には『稲荷神社』。小学校の先には『戸倉神社』。中学の北側には『高
木八幡』。半径1kmの中に神社が5つも6つもあります。 江戸時代、玉川兄弟が工事をした玉川上水が
できて、このあたりは新田開発が進みました。 「私たちの国分寺」という小学校の副教材には、「内藤新
田」「野中新田」「戸倉新田」「本多新田」「榎戸新田」「平兵衛新田」などの名前がづらり。『神明社』
は、「天照大神(太陽神・女神)」。 『稲荷神』は「稲に宿る神秘的な精霊」。 『弁財天』は「水神、
農業の神」。 新田ごとに、農業にかかわる氏神様を祀っていたことが想像されます。
考えてみると、富太郎の家の近所には「神社」がない。 国立は『谷保天神』が超有名だけれど・・・。
と思ってインターネットで調べたところ、国立市内の神社は7か所。しかも、すべてが甲州街道よりも南の
多摩川側でした。 市のホームページによると、国立市は元々は、甲州街道沿いの谷保村、青柳村、石田村
からなり、大正末期に、箱根土地 が北部にあった山林を造成した。 つまり、今の国立駅から一橋界隈は、
大正末期までは、人が住む場所ではなかったわけで、「神社」が無くて当然かぁ。 ちょっとショック。
ちなみに、国分寺市の神社は28か所でした。 お隣の広い立川市(過去に砂川町と合併)でも、26か
所なので、「神様が沢山いる町、国分寺」として御利益がありそうです。 ♪「武蔵のここに国分寺・・」
◯ 東多摩 ?
三多摩というのは、「北多摩」「南多摩」「西多摩」の三つをいうのですが(今、地名として残っている
のは「西多摩郡」だけ)、久住さんの本で、かつて『東多摩郡』があったという事を知りました。
今の「中野区」と「杉並区」。 へぇーと思ったら、明治時代の話しなのですね。 南豊島郡(今の「渋
谷区」と「新宿区の一部」)と合併して『豊多摩郡』になったのだそうです。 五日市(西多摩郡あきる野
市の一部)が「町」になった時、渋谷はまだ「村」だった、というのが多摩地区の「ドヤ!」話です。
同じ23区でも、山手線の内と外では『価値が違う』的な事が言われるようですが、まあ価値観なんて、
人それぞれだから・・・。 「三多摩原人が言うな!」と言われそう。 ええ、ええ。三多摩原人ですよ。
『ワカコ酒 8』が、1月から始まるのが
楽しみな 富太郎 ぷしゅー!
(「嘘解きレトリック」が終わるのは残念
ですが、「薬屋のひとりごと」が始まります。
♪「テレビばっかり観ていると 今にしっぽが
生えてくる それは たいへん たいへんだぁ
しっぽが生えたら どうしましょ」
腰痛も、心配だぁ・・・。)
フォト/『大学通りの銀杏の黄葉』
先週末から、イルミネーションも始まりました。
久住さんは、街歩きで「府中街道を、多摩川へ
南下す」で『西国分寺』に。 「昭和記念公園の
秋」で『立川』に来ていますが、間の駅の
『国立』には、寄っていただけていないようです。
ぜひ、お立ち寄りください。 お待ちしています。