富太郎の日常217 『 「仙台ぐらし」 から 』

 『逆ソクラテス』の流れで、伊坂幸太郎さんのエッセイ『仙台くらし(集英社文庫)』を読んでいます。

 富太郎は、宮城県に住んだことはありませんが、二度勤務地になった秋田県を統括する部署が、仙台に

あったため、幾度となく訪れて、ちょっと馴染みがあります。とは言うものの、暮らしたわけではないので

プレバトの俳句コーナーで耳にする「兼題写真から発想を飛ばして」よろしく、「仙台」ゆかりのあれや

これやについて、取り上げようかと。 でも、最近ガクンと飛距離が落ちているからなぁ・・・。

 ◯ 牛タン からの

 もう、15年以上行っていませんが、仙台に行った時の「駅弁」は、ひもを引っ張ると湯気が出て温まる

「牛タン弁当」(デザートは、喜久水庵の「生クリーム大福」)。 ちょっと贅沢気分。 牛肉と言えば、

♪『・・・牛丼一筋 80年 』というCМが流れていたのが、富太郎が就職した頃?なので、1979、80年

あたりでしょうか。 とすれば、吉野屋さんも今では創業125年ほど。 CMもスマートになり、往年の

『やったね パパ 明日もホームランだ!』的な(ニヤッとさせる)インパクトは感じません。ちなみに、

この1979年の日本シリーズは、広島対近鉄で、第7戦の『江夏の21球』が伝説となりました。

 同じ1979年に少年ジャンプに連載が始まったのが、ゆでたまごのお二人の『キン肉マン』。額に「肉」の

キン肉マンが牛丼好きなのは、吉野家さんの影響も大なのではないでしょうか。 「へのつっぱりはいらん

ですよ」と言われそうな話で、恐縮です。

 ◯ 青葉城(仙台城) からの

 さとう宗幸さんの『青葉城恋唄』、井上ひさしさんの『青葉繁れる』。 塩屋が喜ぶ『青葉山』。青葉山

関は、宮城県出身ながら、仙台市ではないようです。 同じ関取の、そのものズバリ『青葉城』関は、仙台

市出身、押尾川部屋。初土俵から引退まで、一度も休場することなく、秋場所で玉鷲関に抜かれるまで、

連続出場記録を持っていた、まさに『鉄人』でした。が、もみあげの印象しかありません。 すみません。

 東北新幹線で、仙台まで各駅に停まった『あおば』っていう列車があったのだけれど、何時なくなったん

でしょう。 まあ秋田勤務時代は、まだ秋田新幹線はなく、全日空の飛行機利用者だったのだですが・・。

 ◯ 仙台育英 からの

 野球部は、夏の甲子園で初めて優勝旗を「白河の関」越えさせ、高校駅伝では男女アベック優勝の実績。

中大駅伝部のここ数年の躍進を支えてくれた 吉居兄弟 もさることながら、富太郎が最大のインパクトを

受けたのは、1年から3年まで箱根駅伝を走りながら、4年生でメンバー入りしていないなぁと思ったら、

法科大学院に進学して、司法試験にも合格したという 梁瀬峰史 選手(いや、先生)。

 法科大学院といえば、みんなの動物園の「にゃれ兄」こと、お笑いコンビ「ティモンディー」の 前田裕太

さんは、強豪・済美高校で野球をやり、その後、明大の法科大学院に特待生として通っていたそうです。

 プレバトなどを見ていても、絵画だ、俳句だと、素人のはずなのに、プロ顔負けの多彩な才能を見せる

ひとが、最近多すぎるような気がします。 『天は二物を与えず』とも言い切れない世の中になったのか?

 伊坂さんの『逆ソクラテス』に出てくる言葉。「大半の人は 平凡な人間で、やっぱり ひっくりかえせ

ないんだよ。」に、『うん、うん』と、凡人富太郎としてはホッとしたのでした。

 あの、お笑いの パンサー尾形 さんは、仙台育英のサッカー部のキャプテンだったそうです(中大卒)。

『笑わない数学』、良かったですよ。 長年、テレビに出続けているというのも、凄い才能だと思います。


 「真田丸」で、大阪夏の陣で自害した真田信繫の

 妻子が預けられた仙台城に到着した時に、強面の

 伊達政宗が子供たちに「ずんだ餅 食うか?」と

 優しく語りかけるシーンを見て『政宗 いいやつ

 じゃん!』と強く印象に残った    富太郎

 (「ずんだ餅」の語源は、『豆(ず)を強く打

 つ』からきている(諸説あり)らしいですが、

 富太郎は、原料は何かと聞かれて『豆(ず)んだ』

 と地元の人が答えたのではないか、と思っています。

 まったく根拠はないですが・・・。)


 フォト/『広面んだんだ通信』 著者:あんばい こう

  無明舎出版 1989年4月30日初版発行 (消費税3%)

「ずんだ餅」の『んだ』に触発されて、本箱から引っ張り

 出してきた一冊。 秋田市で仕事をしていた頃、地元の

 出版社の社長がエッセイを出したというので、購入。

 も、35年ほど前なので読んだのか、読まなかったのか

 さえ記憶の彼方。 ただ、この出版社が秋田市の広面

 (ひろおもて)にあって、富太郎も同じ広面のアパートに

 住んでいたのも、何かのご縁かと。 当時の富太郎の

 住所が『広面 字 土手下』という場所で、年賀状等で

 これを知った友人知人から『凄いところに住んでるね』

 と突っ込みが入ったのも、遠い昔です。





2024年11月26日