富太郎の日常206 『 読み違い 』
天気予報の精度が上がり、空模様を読み違えて、雨に降られることは、ほとんど無くなりました。
プロ野球は、予告先発が導入され、「相手ピッチャーを読み違える」という言葉自体が死語となりました。
しかぁし、恥ずかしながら富太郎、この歳になっても「漢字の読み違い」がたびたび起こっています。
先日もテキストを見ながら講義の録音を聴いていたら『記す』という字を「しるす」と先生が読んだので、
えっ、「きす」じゃないの? さりげなく奥に聞いたら「しるすだよ。」と(何でそんなことを聞くのか、
という顔をされました。)。 思えば、色々な「読み違い」をしてきたなぁと、振り返る今日この頃。
新世紀エヴァンゲリオンの『あんたバカァ?』というアスカのセリフが、心に刺さります(泣)。
○ 「貧」か「乏」か
『乏しい』との表記を見たときに、パッと「まずしい」と頭に浮かんでしまいます。 辞書を引くと、
『貧しい(まずしい)』は、「量、質ともに劣っている。貧弱である。乏しい。」と出ていて、『乏しい
(とぼしい)』は、「十分ではない。足りない。経済的に貧しい。」。 両者は「類語」だそうです。
ただ、貧しいは『「心の貧しい人」のように、内面の豊かさがない意で使われる点が「乏しい」とは
違う。』のだとか。 どちらも意味的にはそんなに違わないのだけれど、筆者が『乏しい』と書いているの
だから、そこは「とぼしい」と読まなくちゃぁ。 なのですが、富太郎の頭の中で「まずしい」が勝って
しまうのは♪「心の貧しい女だわ・・・私」(1979年、山口百恵『愛の嵐』作詞:阿木燿子、作曲:宇崎
竜童)が、頭に浸みこんでいるせいに違いありません。 きっと。
○ 『彩る(いろどる)』
「色をつける。彩色する。化粧する。」と言う意味の『彩る』。 これも永年の富太郎読みでは、
「あやどる」。 何故か? 上戸彩は「あや」だし、1990年代にあった明治乳業の高級アイスクリームは
「AYA(彩)」だったじゃないか。 と、抗議をしても、判定が覆るはずもなく・・・。
「美しく飾る」ことを「あやどる」って言うよなぁと思って調べたら、『綾取る』でした。 残念。
類例。 『重篤(じゅうとく)』を、どうしても「じゅうあつ」と読んでしまうのは、「武者小路実篤」
や「篤姫」に引っ張られるから。 まあ、『危篤』を「きあつ」とは読まないものなぁ。
○ MOKUTONOKEN
サラリーマン時代、ミーティング中に「めどがたった。」という話をしていた時に、「めど」は『目途』
と書くとみんな思っていたのに、『目処』という漢字変換が出たと、ちょっと慌てたことがありました。
その時 山ちゃん が、『目途』は「もくと」って読むらしいですよ。という話をして、一同「お~!」と
感激。 でも後で調べると、「めど」で『目途』とも変換されました。 『目途』も『目処』も意味は
同じで、「目指すところ(目標)、目当て、物事の見通し」。 『目途』の読みは、一般的には「めど」で
音読の「もくと」は、改まった言い方で、政治家とかお役所が使うらしいです。 山ちゃん、政治家?
以上「目途の件」でした。 『お前はすでに死んでいる』の「北斗の拳」と読んだ人は、読み違いです。
万城目学さんの『十二月都大路上下(カケ)ル』
のP56、前日、高校駅伝で競り合って走った
他校の先輩と話していた時に、主人公が
「新選組って、今もいるんですか?」と聞いて、
『サカトゥーって、馬鹿なの?』
と容赦のない指摘をされたのを読んで、
『馬鹿』地雷はいろいろな所に隠れているなと、
ニヤっとした 富太郎 (今日も、わが身。)
フォト/独身時代から使っている『広辞苑』
三浦しをん さんが「本屋大賞」を獲った作品
『舟を編む』は、辞書の編纂に取り組む人たちの
お話でした。 富太郎個人としては、三浦作品では、
箱根駅伝を題材にした『風が強く吹いている』が
好きなのですが、その『風が強く吹いている』を
読んで衝撃を受け、自身の力不足を痛感して
一時著作活動を休止したのが、『成瀬は』の
宮島未奈 さん。 でも、見事に復活して『成瀬は』
で「本屋大賞」。 読書って、楽しい。
復帰してくれて、ありがとうございます。
追 記
NHK BSプレミアムドラマ(日曜夜10時~)
の『団地のふたり』が、なかなか味わい深いです。
主演は、小泉今日子さん、小林聡美さん。
キャッチコピーは、『50歳、独身、幼なじみ』
お二人は、実年齢でも、同学年のようですよ。
♪「・・・ミスター・スウィート ラブリーボーイ
ヘイ ヘイ 記す 記す ミー ・・・」
KYON KYO~N !!
広辞苑には、「キス」の次に「記す(きす)」と
載っていました。 さすが、我が家の「広辞苑」。