富太郎の日常205 『そうだ京都、』
去年、下半期の直木賞を 万城目学さん の『八月の御所グラウンド』が受賞したあたりから、今年のNKK
の大河『光る君へ』の主人公 紫式部さん の勤務場所は京都御所(高校時代、古文の時間に「源氏物語」の
解釈を研究させられた授業で、さんざん苦労した苦い記憶があり、今年の大河は視ていません。)。
そして、とうとう夏の甲子園は「京都国際」が優勝。 時代は「京都」か? もう30年以上、JR東海
は『そうだ京都、行こう』と誘い続けているけれど、根っからの出不精に、加齢も加わって、動かざること
山の如し。 ♪「なのにあなたは京都へ行くの 京都の町はそれほどいいの このわたしの・・・・・」と
チェリッシュ(1971.9.5デビュー曲)。富太郎はせめて気分に浸るため、前から読みたかった万城目さんの
直木賞本を買いました。
○ 京都府立桂高校
京都の高校野球といえば、出場回数で言えば(794ウグイス)「平安高校」。学生のうちにアメリカの
大リーガーたちをきりきり舞いさせた、伝説の投手沢村英治(プロ入りのため中退した)の「京都商業」。
第1回夏の甲子園で優勝、戦後復活した1946年の大会でも準優勝した「京都二中」(学制改革後、流れを
くむ「鳥羽高校」でも、甲子園出場歴あり。)。 等々、挙げればきりがないのですが、富太郎が高3の年
(小川君の習志野高校が優勝)の京都代表が、「府立桂高校」。後にも、先にも甲子園出場は、この1回の
ようです。 正直、桂高校の選手、ユニフォーム等についてはまったく記憶にないのですが、初戦で負けた
相手の高校が、全力疾走の「土佐高校」(全身白のユニフォーム、胸に校章)で、3番の玉川選手(その
後、慶応、社会人でも活躍)がサイクルヒットを打ったことだけが、鮮明に残っています。 スマートで、
カッコよかったぁ。 松坂大輔が夏の甲子園で優勝した時の決勝の相手が、「京都成章」(PL学園戦は
準々決勝。)。ノーヒット・ノーランでした。 そんな厳しい戦いも多かった京都府の代表が、夏の甲子園
で優勝したのは、1956年の「平安高校」以来とのことなので、府民の皆さんの喜びもひとしおでしょう。
○ 百万遍の交差点
暮れの高校駅伝の中継を見ていると、男子の3区だか4区だかの途中で、中継のアナウンサーが『百万遍
の交差点を曲がります。』と必ず実況しているのが、耳に残っていました。 そんなに有名なの?、と永年
思っていたのですが、『成瀬は信じた道をいく』の中に、成瀬が京大に受験に行く場面があって、京都市
バスの「百万遍のバス停」で降りて、試験会場の「理学部6号館」に着いたとの描写を見て、京大は百万遍
の交差点に面しているらしい。 京都の人、あるいは関西人、若しくは京大に興味のある人にとっては、
「百万遍」といえば、バッとその界隈の景色が浮かぶのではないか、と思い至ったわけです。 なるほど。
高校駅伝の女子を題材にしたのが、万城目さんの『八月の御所グラウンド』に収録されているもう一篇
『十二月の都大路上下(カケ)ル』。 テレビ中継は、優勝争いと8位入賞くらいまでの映像で、他の学校
は、中継所でチラっと映って、あとは画面の下に順位と学校名が順番に表示されるだけだけれど、選手たち
は順位に関係なく一生懸命で、この作品の主人公も目標の20位台を目指して、ほぼ同時にスタートした
他校の選手としのぎを削ります。 が、試合翌日に繁華街で、ベンチコートを着た色々な学校の選手たちが
お土産を買う場面があって、そういう姿が色々な時代に、日常風景として溶け込んでいるが、京都という
町なのだなぁと思った次第です。 時代劇でも、地方から京に上ったお侍さんが、お土産を求める場面が。
○ 修学旅行
中学の修学旅行は、「京都・奈良」がお約束でした。 もう、50年以上前とは言え、記憶に残っている
のは、新幹線と観光バスでの移動と、着いた旅館の部屋に「お櫃」があって、『なんだよぉ、昨日のお櫃が
それっ放しじゃないかぁ!」とみんなで引いていたら、それがその晩のご飯だったという、笑えない話。
隠し持っていたお菓子を夜中に食べて、部屋が汚れたので、翌朝旅館の人に「掃除道具を貸してください
。」と頼んだら、『こちらでやりますよ。』と言ってくれたけれど、「いえ、自分たちが汚したので。」と
証拠隠滅。 その話が旅館から校長先生に行って、校長は『素晴らしい生徒さんだ。』と言われたと喜んで
話してくれましたが、みんな下を向いて苦笑い。 移動のバスでは、定年間際の音楽の先生(通称ポン太)
が作曲した♪「行く秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる ひとひらの雲」(注)という歌を、歌う気
満々だったのに、ガイドさんは(知らないメロディーで)この歌を披露。 みな心の中で『ブーっ!』。
車内の空気が・・・。 おっと、薬師寺は「奈良」だった。 南都(710)素敵な平城京。
で、この修学旅行で何をお土産に買ったのかは憶えていません。 小学校の時(日光)は、三猿の貯金箱
だったことはしっかりと覚えているのだけれど・・・。
最近、のJR東海のキャッチコピーの別バージョンは、『そうだ京都は、今だ。』 やっぱり、今か!!
9月に入り、来月の箱根駅伝予選会が気になりだした
富太郎
(京都で陸上の強い高校は、「洛南高校(私立)」。
二大会連続で、オリンピックの3障(3000m障害)で
入賞した 三浦龍司選手 や、リレーで活躍した 桐生
祥秀選手 等々そうそうたるOBが。 そして中大にも
今年の全日本選手権の3障で、2位に入った 柴田選手
(2年)や、エースの一人 溜池選手(3年)等も、
洛南高校のOB。 期待大です。 頼むよぉ!!)
フォト/国高の文化祭、校門の入場ゲート。
例年だとアーチになっていて『第◯◯回 国高祭』
と書かれているのですが、台風の影響か、今年は
アーチの天辺の部分が、外されていました。なんか変?
国高から100mも離れていない「桐朋高校(私立)」の
森井選手(二刀流、高校通算45本塁打、最速153㎞)が
『プロ志望届を提出した』との記事が出ていました。
国立市の高校から、プロ野球選手誕生か・・・!?
(注)について
この歌(短歌)は、歌人で国文学者の 佐佐木信綱さん
(1872~1963)の第二歌集『新月』(1912年出版)に
収められています。
富太郎の好きな『夏は来ぬ』の作詞者でもあります。