富太郎の日常33 『私の東京百景5 錦糸町』
♪(ドラえもんのメロディーで)『錦糸町っていいな。何だかいいな。都心に近いけど、都心じゃないんだ
・・・・・・・・・・ あん、あん、あん。 とっても大好き、錦糸町。』
15年程前、アド街ック天国で「錦糸町」が取り上げられたときに、下町代表「なぎら健壱」が
歌っていました。
その頃、富太郎の職場は、最寄り駅「錦糸町」の『江東支店』でした。
どこの職場にも、『やらかす奴』はいるもんですが(当然、富太郎もその一人であった)、
それにしても、私がいたときの『江東支店』は、やらかす奴が多すぎて、在籍期間中、
その後始末に追われまくったとの印象しかないので(もちろん良いこともたくさんあったはずなのだけれど)
職場のことには(ほぼ)触れずに、「錦糸町」界隈の思い出の場所を紹介したいと思います。
『楽天地』 と 『ロツテ会館』
JRの錦糸町駅を降りると、南口に「天然温泉、24時間サウナ」をアピールする『楽天地(ビル)』、
北口に「各種ホール、結婚式場?」の『ロッテ会館』(現在は建て替わってホテルのよう)。
降り立っただけで、なんともディープな印象でした。
お相撲さんや、多国籍の派手な化粧のお姉さんもたくさん歩いていた。場外馬券売り場あり、
パチンコ屋多数。夜が近づくと、客引きのお兄さん、お姉さんもわらわらいました。
駅前のレコード屋で、演歌歌手がCD即売会兼簡易コンサートをやっているかと思えば、
一方で、新日本フィルの本拠地「すみだトリフォニーホール」があったり(富太郎には無縁)と、
「もう、何でも来い!」という、何ともパワフルな街でした。
「東京スカイツリー」の建設が決まり、盛り上がっていたし・・・。
『丸井錦糸町店』
最近はあまり聞きませんが、「丸井は駅のそば」というのが、昭和時代のキャッチフレーズでした。
で、錦糸町でも、丸井は駅のそば。
この丸井錦糸町店の、八階、九階が『すみだ産業会館』。その九階にあったのが、
『東京商工会議所墨田支部』。マル経等、仕事柄「東商さん」とのお付き合いは深いのですが、
特ににこの時期、お世話になりまくり、「生涯、東商さんには足を向けて寝られません」状態。
ありがとうございました。
また、墨田支部さんのお勧めで、丸井の中にあった(まだ、あるかしら)中華の『謝朋殿』というお店は、
いろんなシチュエーションで利用させていただきました。こちらもお世話になりました。
『錦糸公園』
錦糸町の駅から5分くらいのところに、「野球場」「テニスコート」「体育館」等が併設された、
『錦糸公園』があります。街のディープさのすぐ隣に、憩いの場所があるのも、錦糸町の魅力でしょう。
ここの野球場で、当時あった「都内ソフトボール大会」の練習を、業務終了後に行っていました。
日が暮れて、繁華街然とした駅のそばを、汗臭いジャージの軍団が歩いている。
そんなことが許されるのも、錦糸町ならでは?
また、ここの体育館は、体育会系2号のハンドボール都大会予選の会場だったので、足を運びました。
ライバルのK高校の「偵察ビデオ班」が仕事を終えた後、建ったばかりのスカイツリーをバックに、
写メを撮っていた姿が印象に残っています。
『人形焼 山田家』
支店のすぐそばに、山田家さんという人形焼のお店があります。メインの形は「たぬき」。
「本所七不思議」という昔ばなしの中に『おいてけぼり(「置いてけぼり」という言葉の語源)』という
話があって、その主役の「たぬき」を形どった老舗の人形焼。とても、おいしいです。
なんでも、作家の宮部みゆきは、この店の包装紙をヒントに「本所深川ふしぎ草紙」を書き上げ、
吉川英治文学新人賞を受賞したそうです。
『ルネサンス亀戸』
名称は「亀戸」ですが、錦糸町の駅からそんなに遠くありません。
江東支店時代、富太郎は自転車で管内を走り回っており、「こんな場所にスポーツクラブが
あるんだ」とちょっとビックのした記憶があります。
今や時の人。水泳の『池江璃花子』さんの所属クラブです。感動と勇気をもらいまくり。
よみうり時事川柳から、『池江見て今日から五輪賛成派』。 富太郎も!!!
亀戸がらみで、芥川龍之介ゆかりの
「くず餅 船橋屋」さん等、ご紹介したいところは
まだまだあるのですが、今回はこのくらいで。
いいぞ! 若者!! 富太郎
フォト/スポーツクラブ ルネサンスのロゴ
富太郎は、札幌時代は平岸のテニススクールで、
東京では、西国分寺のゴルフスクールで、
それぞれルネに通っていました。。
体育会系1号は、4年間、インストラクター
のアルバイトでお世話になっていました。
札幌平岸のテニススクールでご一緒させて
いただいた宮越さん、お元気でしょうか。