富太郎の日常174 『 ゾロ目 』
富太郎は、66歳。「ゾロ目」です。 11年後の77歳は、どうなっているのでしょうか。
と、いう訳で(どんな訳だ?)、今回は「ゾロ目」に関する一考察です。前にも書きましたが、「一考察」
というのは、『突っ込まないでね!』という意味ですので、そこのところ、よろしくお願いします。
〇 11 「(赤き血の)イレブン」
「イレブン」といえば、サッカーでしょう。(「11PM」と答えた人は、それなりの年齢のご同輩。)
それにしても、10連勝して1回負けただけで、あの言われよう。 サッカー選手は、大変だと思います。
1試合ごとに、個人別に採点。しかも、各国、マスコミ別みたいに。 他の団体競技では、あまりないよう
な。せいぜい「今日のMVP」くらいでしょうか。 あと、解説の人のコメントの厳しいこと。ほぼ毒舌。
もしかしたら、南米系の方だけかもしれませんが。怒りの熱量がすごい。 まさに「情熱(赤き血)」の。
選手自体にも、「俺様」キャラが多いような。 愛称も「王様」に「カイザー(皇帝)」ですか。
もちろん、決して嫌いではありません。 本当か? 本当です。
〇 22 「22歳の別れ」 ♪「あなたに さよならって言えるのは 今日だけ・・・」
フォークの時代がありました。 ニューミュージックの時代。 アイドル全盛の時代。 Jポップ。
40年50年前の歌が、今でも普通に歌われている。 不思議なような気もするし、人間長生きになって、
当り前のような気もするし。 「個人」とか「個性」とかが強調されるような世の中になってきましたが、
今の若い人の間で流行っている歌が、40年50年後も歌われているのか♪「君はきれいだぁ~」なんて。
とても気になります。 間違いなく生きていないので、確かめようはないのですが・・・。 残念!
〇 33 「ぶすじま」
子供の頃、みんな背番号は「3番(長嶋)」か「1番(王)」が良くて、富太郎もご多分に漏れず、
長嶋好きではあったのですが、そこはへそ曲がりだから、みんなと同じが嫌で、バットのグリップエンド
には『33』とマジックで書いていました。 当時、『33』で富太郎が知っていた選手は、東映フライヤ
ーズ(現在の、日本ハムファイターズ)の毒島(ぶすじま)選手。ただ、名前は知っていたけれど、どんな
選手かは、まったく知りませんでした。ごめんなさい。
「ぶすじま」というのは、クラスの女の子に付けた酷いあだ名ではありません。 神かけて・・・。
余談ですが、当時は木製バットで、「ヤバネスポーツ」というメーカーだったのですが、何十年も後に
仕事で錦糸町を歩いている時に、この会社の本社の前を通ることがあり、ちょっと涙目になった『33』。
〇 44 「SAME NUMBER」
グリップエンドの番号と言えば、最近オオタニさんが、次々と記録を塗り替えている、ベイブルースの
通算本塁打を塗り替えた「ハンク・アーロン」選手(日米野球で来日した時に、王選手とホームラン競争を
やった。)の背番号が44番。 富太郎の記憶にあるのが、ワイシャツ姿のアーロン選手が、急遽、打撃を
披露することになり、バット・ケースからグリップエンドに「44」と書かれたバットを取り上げた時に、
当時監督だった長嶋さんが、「セイム ナンバー」 とニコニコしながら声をかけていたいう場面。
当時の44番は 山本功児選手 。その後、コーチとなり、ロッテの監督も努めました。 そして山本選手の
息子さんは、高校球児で甲子園にも出場しました。 何代か後の背番号44番の 堀田選手 の息子さんも、
昨夏、甲子園に出場。 何だか、運命的なものを感じます。
〇 55 「ゴジラ松井」
石川県出身の松井選手が、今回の能登地震に義援金の寄付をされたとの記事が出ていました。松井選手の
背番号55は、当時の日本プロ野球の年間ホームラン記録、王選手の55本に由来していたかと思います。
現在のジャイアンツの背番号55は、2メートルの秋広選手。昨年、大ブレイク。 も、バラエティー番組
で、アベ新監督をいじる発言をしただとか、複数回、遅刻をしただとか。 富太郎、ちょっとカチ~ン!
『10年早いッ!』『何ぃ、10年たっても31だってぇ!』『20年早いッ!』 時代は変わりました。
ちなみに、富太郎が社会人になったのが、昭和55年。 同期の ヤダちゃん は、ゴルフボールの数字
『55』にとても拘っていましたっけ。 55富太郎@
〇 66 「百恵さん」
昭和55年に、結婚引退した 山口百恵さん 。 この年の5月にリリースしたのが、『ロック(6)ン・
ロ(6)ール・ウイドゥ』って、ちょっと無理やり。 同じ国立市在住ながら、引っ越してきて25年。
富太郎は、まだ一度もお見かけしたことがありません。奥は、以前のパート先でお会いした(見た)ことが
有るそうです。 ちょっと、いや、かなり羨ましい。 百恵さんは早生まれなので、66歳は来年です。
時の流れの速さに、驚かされます。 先人も言っていましたが、♪『命短し 恋せよ 乙女座 宮』です。
朝、デジタル時計を見て、5時55分55秒
だった時に、(小さな声で)『ゴー、ゴー、ゴー、
ゴー、ゴー!』と叫ぶ 富太郎
(何か、ちょっとラッキーな気がして、元気が出ます。
まあ、いわゆるひとつの「お約束」ということで。)
フォト/長嶋さんのユニフォーム型クッション。
第二次監督時代当初、まだ背番号が「33」だった
時のもの。 その後、広島から江藤選手がFAで
移籍してきたときに、「33」を江藤選手に譲り、
自身は現役時代の「3」に戻しました。
キャンプで江藤選手にノックをするために、グランド
コートを脱いで、背番号「3」をお披露目をした時の
カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!
という盛大なシャッター音と、長嶋さんの満面の笑みが
富太郎の野球ファン史上、指折りの忘れられないシーン
であります。
今年も、もうすぐ、キャンプ・イン。