富太郎の日常163 『 山号・寺号 』
11月5日のの日曜日は、たいへん忙しかったです。 昼間は「全日本大学駅伝」。 終わったら国立の
「市民まつり」。 夜は「日本シリーズ第7戦」。 そして、日曜日と言えば「笑点」。 木久扇さんは、
来年の3月で卒業されるそうですが、最初の出演が1969年の11月9日とのことですので、ちょうど54年。
富太郎が、まだ小学生の頃ですよ。 本当に、お疲れさまでした。 もう少し、楽しませてください。
そんな「笑点」でときどきやっていたのが『山号寺号』というお題です。もともとは落語の演目のようで、
お寺さんには、〇〇山という『山号』が必ず付いていて(例えば「成田山・新勝寺」)、これを若旦那と
幇間が町中の色々なものに当てはめて遊ぶというもの。 笑点の答えで記憶にあるのは「清子さん水前寺」
『「小遊三さん いぼ痔」「汚たねぇなぁ!」』ここまでがお約束のワンフレーズ。まあ、言葉遊びです。
〇 「歯医者さん 伊勢路」
全日本大学駅伝の日本学連選抜7区を走った 石鍋選手 は、今春青山学院を卒業して岡山大学歯学部に
編入。青学では陸上部でしたが三大駅伝は走れず、中国地区の予選会で記録を出して、チームでは出場でき
ませんでしたが、個人で選ばれて出走。 そんな 石鍋選手 を表して、歯科医のお父さん(60)が一言。
『敗者(歯医者)復活です。』 上手い! 座布団一枚。
〇 「星野さん 明治」
日本シリーズは、阪神の日本一で幕を閉じました。同学年の岡田監督(早稲田)おめでとうございます。
なんでも、日本シリーズが第7戦までもつれ込むのは、あの マー君 が激投した楽天・巨人戦以来10年ぶり
だそうです。 阪神が日本一になるのは、岡田監督が現役時代の1985年以来38年ぶり、2回目。 って
まだ、2回目なんだぁ。 人気球団だし、伝統の巨人・阪神戦とよく言われるので、もっと日本一になって
いたイメージだったのですが。 調べてみると、これまで日本一になった回数が一番少なかったのは、阪神
と楽天の1回。 てことは、10年前のあの時が唯一。 9回の表、星野監督がベンチから出てきて、主審
に怒鳴りました。「ピッチャー、田中!」 ♪「あと一粒の涙で 一言の勇気で 願いがかなう・・・ 」
そんな星野仙一監督は、明治OB。 ちなみに、小遊三さんも明治OB。 です。
〇 「桑田さん 江ノ電・極楽寺」
10月1日で、サザンが創立45周年だそうです。 1978年。 富太郎、大学3年生で、ゼミ合宿で
みんなで歌いましたよ。「勝手にシンドバッド」。 日本人の年齢の中央値が(2022年10月1日現在)、
「48.4歳」とのことなので、日本人の半数近くが、サザン、デビュー後の生まれって考えると、ちょっと
感慨深いものがあります。 最近買ったサザンのミュージック・ビデオ「ベストヒットUSAS」(2004)
に出てくる 桑田さん の若いこと。 悪ふざけは、今一つまだ、あか抜けていないかな。「亀のヅラ」とか。
『時計屋さん いま何時?』 ♪「・・・そうね だいたいねぇ~ 」
〇 「食べ物屋さん (値上げをしないと)赤字」
定番だと「蕎麦屋さん 卵とじ」とか、「肉屋さん ソーセージ」なのでしょうけど、原材料の高騰で
一時、卵料理がメニューから消えましたものね。 ラーメン業界には「1,000円の壁」というのがあって
単価が1,000円を超えると、客足が遠のくのだとか。 でも、ラーメン屋さんに限らず、テレビの飲食店の
紹介番組を見ていると、ランチで1,000円越えはあたりまえ。駅弁しかり。 もしかしたら、平成時代に
サラリーマンだった富太郎の金銭感覚は、ずれちゃっているのかもしれないけれど、年金生活者の実感。
たまに「この店安いなぁ。」と感心すると、自己所有店舗だったりして。 「商売は難しい!」って私が
言うのも何ですが。 近所の住宅街の奥に、いつ前を通っても何人も並んでいる地味なラーメン屋さんが。
全日本大学駅伝をスタートから見るために
ほぼ、日の出とともにウォーキングに出かけた
富太郎
(いつもと歩く時間帯が違うと、街中の景色も
変わるものです。第三公園で体操をやってましたが
ラジオ体操ではなく、なんか太極拳みたいな動き。
帰りに通ると、人数はグッと減っていたものの、
輪になってコーラス中(歌は「熱き心に」)。
う~ん、休みの日の朝7時過ぎにですか。)
フォト/富士山 好天時
だいぶん、雪が下まで降りてきました。
でも、まだ夏日があったりして。
「何でっしゃろねぇ!」