富太郎の日常155 『 ドイツ 』
日本サッカーが強すぎます。 ひと昔前には、「ドイツに勝つ」なんて(富太郎は)夢のまた夢でした。
今や先発メンバーのほとんどが海外のチーム所属だなんて、変われば、変わるものです。 夢のよう。
一方、負けたドイツは監督が解任され(その翌々日には、強豪フランスに勝利。日本の凄さ際立つ)、
それに煽りを食ったのが、せっかくワールドカツプで初優勝したのに、話題を(ほとんど)持って行かれた
バスケのドイツ代表でしょう。 バスケに関しては、富太郎は間違いなく俄かファンだったので、日本の
試合が終わってからは、興味がなくなってしまっていたのですが・・・。
現在話題のラグビーに至っては、ドイツはランキング32位(日本は14位)で、ワールドカップには
出場しておりません。 東京五輪の卓球で、まじめな顔のコーチのユニに、縦書きで「ドイツ」と書かれて
いたのも、懐かしい思い出です。 今回は、富太郎的「ドイツ」について、書かせていただきます。
〇 第二外国語
ただでさえ、語学(英語)が苦手だったのに、第二外国語まで履修しなければならず、フランス語よりは
楽らしいということで選んだ「ドイツ語」。 Ich lerne Deutsch だったのですが、
あと、記憶に残っているのは Ich Liebe Dich だけ。 よく単位を貰えたものです。
社会人になってから、海老ちゃん に 、カフェ・オ・レは、 オ が With で、 レ は ミルク の意味の
フランス語だと教えられ、『お~!』と感動したくらいの、語学の程度であることが、お恥ずかしい。
〇 ドイツ文学・哲学
あまり馴染みは無いのですが、思い浮かぶのはグリム童話(赤ずきん、白雪姫、ヘンゼルとグレーテル)
ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」、レマルクの「西部戦線異状なし」くらいしか。 富太郎的には、暗い、
重い、悲しい、という印象で、申し訳ないくらい再読の意欲が湧きませんでした(個人的読後感)。
♪「デカンショ デカンショで半年クラス ヨイヨイ 後の半年 寝て暮らす ヨイヨイデッカンショ」
戦前の大学生は、原書で「デカルト」「カント」「ショーペンハウアー」を読んでいたとすると、凄い
語学力だったわけで、富太郎なんか、日本語でも読んでいない。話にならないのであります。 さらには、
マルクスにエンゲルス。富太郎の学生時代には、経済学は「マルクス経済学」と「近代経済学」が並立して
いました。経済学も訳が解からなかったなぁ。中小企業診断士試験では、いくら勉強しても理解できず。
五択で良かったぁ。 ちなみに、エンゲル係数のエンゲルさんは、ドイツの統計学者で別人であります。
そうそう、『我思う、故に我あり』のデカルトさんは、フランス人でした。
〇 飲食
むかし♪「ミュンヘン、サッポロ、ミルウォーキー」というビールのコマーシャルをやっていました。
『銀座ライオン(サッポロビール系列)』のような、ビアホールで、ビール、ソーセージ、ジャーマン・
ポテトでワイワイというのが、ドイツ風飲食のイメージであります。 若いころ大森の支店にいたときには
若手だけで飲むときは支店の近所にあった『G・G・C(グレート・ジャーマン・クック)』という店に
行っていました(おじさま方と一緒の時は『焼き鳥一番』)。 数年前退職間際、大森に行ったときには、
『G・G・C』はありませんでしたが、『焼き鳥一番』は健在でした。 正直、富太郎はビールが苦手。
お酒はドイツの白ワイン。 「ツェラー・シュワルツェ・カッツ」という 黒猫のワイン が贔屓です。
〇 個人的歴史観
ベルリンの東西の壁が崩壊したのが1989年。まだ、ほんの34年くらいしか経っていません。ドイツは、
正式には『ドイツ連邦共和国』。 共和国制なんだぁ。 でも、1900年代の初頭、第一次世界大戦までは
プロイセン王国等王国制だったわけだし。この1世紀から1世紀半の間に激動の時代を経てきている割に
落ち着いた印象を受けるのは、国民性でしょうか。 ミュンヘンオリンピックが、1972年。男子バレーの
決勝の相手は、東ドイツだったはずです。いろいろな競技で栄枯盛衰が。 カイザー・ベッケンバウアー。
ゴルフ練習に行った翌朝、右ひざに違和感。
えッと思い、座ったらお尻におでき・・・。
昼食を食べている時に、奥歯にかぶせた銀歯が
取れた 富太郎 「なんて日だッ!」
フォト/いつまでも終わらない暑さに負けて
(というこにして)、ウォーキングをさぼりがち
になっているので、足の衰えを気にしてとうとう
買った「SIXPAD Foot Fit Lite」
今のところ、ウォーキングに行かない日は、
一応、使っています。
(「腹筋くん」は、未だ未稼働。残念!)