富太郎の日常154 『外国人選手』
男子バスケ、パリ五輪出場権獲得、おめでとうございます。 また来年の楽しみが増えました。
それにしても渡邊選手や比江島選手等多くの選手が日替わりで活躍する中、初めから最後までずっとずっと
身体を張って献身的に、かつ愚直にプレーしていた ホーキンソン選手 。富太郎は涙が止まりませんでした。
いろいろなスポーツ大会で、外国人選手がその国の代表となるには、競技ごとにルールが違うようです。
WBCが、両親のどちらかの国籍または生まれた国で出場できるので、お母さまが日本生まれのヌートバー
選手が日本代表として活躍したのは、今年の春でした。 一方、バスケのワールドカップは、国籍がないと
ダメで、しかも帰化選手はチームに1名のみ。 ホーキンソンン選手は、今年日本国籍を取得されたとの
こと。そもそも日本に興味を持ったのは、出身地のシアトルで、イチローが活躍していたからなのだとか。
最後の試合、渡邊選手とともに40分間試合に出続けた姿に、まさに令和の サムライ を見ました。
今回は、各スポーツで富太郎が印象に残っている「外国人選手」について、書かせていただきます。
〇 ジョセフ・オツオリ 駅伝 (山梨学院大学)
箱根を初めて走った外国人留学生。1年から3年まで2区を走り、いずれも区間賞。 それが、4年の時
2区で「何ということ、あのオツオリが抜かれる!」との中継アナウンサーの絶叫とともに、順天堂の本川
選手に抜かれました。それでも区間2位で、山梨学院の初優勝に貢献したのですが、ひざの靭帯を損傷して
いたらしいです。 卒業後社会人選手としては怪我に泣かされ、活躍できなかったことを考えると、無理を
おして走ったことの是非が問われるかもしれませんが、留学生ランナーのリーディングケースとして、走ら
ざるを得なかったのではないかと・・・。 今でも留学生の出場については賛否両論あるようですし、当然
当時も出場に異を唱える声がある中、学連は『当連盟に所属している山梨学院大学のオツオリ選手の出場を
認めない理由はない。』ときっぱり。それにしても留学生選手に負けない日本人選手の出現が待たれます。
〇 デービー・ジョンソン プロ野球 (巨人)
「トマソン現象」という、巨人で活躍できなかった外人助っ人の名前を付けて「無用なもの」を表す言葉
というようなことを以前書きましたが、元祖、巨人の外人助っ人といえばこの人。 長嶋さんが現役を引退
して、翌年監督になった時に、初めて現役メジャーリーガーの助っ人として巨人に加入しました。 が、
全く打てず『ジョン得、巨人損』とずいぶん叩かれ、長嶋巨人は最下位に。 ベンチの中でも居心地が
悪いのか、椅子に座るのではなく、ベンチの隅の、コンクリのうえに座って、いかにも自信無さげな様子。
しかも、たびたびデッドボールをぶつけられ、怪我にも泣かされました。プライドと真面目さからメンタル
がちょっと・・・。 日本人の選手なら「長嶋さんだからしょうがない。」で済むところ、まともにとって
長嶋さんに怒り心頭だったようです。 2年で退団帰国した後は、大リーグに復帰し、その年に3割2分
以上打って、カンバック賞を受賞。 引退後も監督としてワールドシリーズ制覇。オリンピックやWBCで
米国の監督と、輝かしい経歴。 つくづくと、力を発揮するには「自信」て大切なんだなぁと思います。
そう言えば、そんんな ジョンソン選手 もCMに出ていました。 『ボク、ジョンソン。オロナミンC
オイシイデスネ。』 世界の 王選手 は、これより前に、リポビタンDのCMに。
〇 トンプソン・ルーク ラグビー (近鉄ライナーズ)
リポビタンDといえば、ラグビー。 今回のワールドカップ初戦は、明後日10日の日曜日ですが、何だか
やたらと外国人選手が多い。 出場資格に、「当該国で5年以上継続して居住」という要件があるからの
ようです。 ラグビー日本代表というと、リーチマイケル選手をどうしても思い出してしまいますが、前回
大会で印象に残っている外国人選手は、富太郎的にはトンプソンルーク選手。 4大会連続の代表で、当時
38歳。 見るからにもう若くはないのだけれど、ホーキンソン選手同様、愚直で献身的。 しかも所属が
トップリーグではなく、下部リーグに低迷していたかつての名門「近鉄」というところも、泣かせます。
朝の連ドラ「舞いあがれ!」で、主人公の親友、久留実ちゃんのお父ちゃん「ドーベルマン望月」が、
東大阪の社会人チームで活躍していたという設定を聞いたとき、「あっ、近鉄だ!」と思いましたよ。
そして、トンプソン選手の言葉「生まれた国は関係ない。僕らには日本のプライドがある。」 泣くよ。
東大阪市のトンプソン選手の紹介記事には、『泣けるほど 頑張る男』 の見出しが。
そんな選手が、今大会にも出てきてくれることを期待します。
〇 謝喬恩(しゃ ちゃお えん) 高校野球 (高知中央高校)
今年の夏の甲子園に初出場した、1番バッターの外野手、2年生。 台湾のU-12代表、中学で全国
制覇して「憧れの甲子園」に出たいと留学してきました。 台湾と言えば、富太郎には忘れられない映画が
あります。 『KANO 1931 海の向こうの甲子園』 昭和6年の第17回大会に、台湾代表として
出場して、決勝まで進出し中京商業に敗れた「嘉義農林」の実話をもとにしたお話です。 日本の統治に
関しては、民族意識等々今でも難しい問題は残りますが、「甲子園」への憧れは、昔も今も、そして未来も
変わらないのではないでしょうか。 近い将来、色々な国から野球留学生が来日するような気がします。
思えば、イチローも松井も大谷も、サッカーの三苫も久保も、現地の人から見れば外国人選手なわけで、
そんな世界のトップな場所で、活躍する選手が増えれば増えるほど、日本は強くなっていくのでしょう。
それにしても、世界のどこへ行っても物おじせずに活躍できる、今時の若者はすごい。 間違いない。
夏の終わり、さすがに疲れが出てきた 富太郎
(でも体重は減らない。 逆に増え気味。 嗚呼!)
フォト/ 小さい秋 ②
近所の都立国立高校(通称 国高)では、
夏休み明けの週末に 文化祭が行われます。
当日は、他校と思われる制服を着た子達も
含めて、ぞろぞろと高校生が大学通りを
歩いて行きました。 国高祭が終わると、
国立の夏(休み)も、「お仕舞い」です。
取り残された校門の歓迎ゲート・・・
ちょっと寂しそう。