富太郎の日常152 『 番長 』
甲子園が終わりました。 決勝の、富太郎の(個人的)感想は「行き過ぎは、粋じゃない」でした。
とはいえ、注目選手も多い中、富太郎が一番印象に残ったのも『代打 清原君』のコールがあったときの
地鳴りのような球場の盛り上がり。 色々とあったお父さんではありますが、やっぱり甲子園は『清原』を
忘れていなかった。 「おう、ワイや! 巨人の番長 清原や。」 FRIDAY でしたか、『番長日記』。
キョンキョンも歌っていましたよ ♪「・・・男の子って 少し悪い方がいいの 」(渚のはいから人魚)
そういう時代だったんです。 子分(?)の 曲者 元木 の息子さんも 履正社 の野球部員です。 残念ながら
腰を痛めていてアルプスからの応援でしたが。 あまり聞かなくなった『番長』ですが、今回はこれで。
〇 ハマの番長
横浜ベイスターズ 三浦大輔 監督。穏やかな性格ながら、リーゼントがトレードマークで、人呼んで
『ハマの番長』。 1980年代に ヤンマガ に連載されていた「ビー・バップ・ハイスクール」(映画の
主演は仲村トオル・清水宏次朗・中山美穂)が大好きで、永ちゃん、プレスリーも好きで、リーゼントに。
入団時、コーチから「罰金を払うか、髪を切るか」と迫られて、迷わず罰金を選んだのだそう。
FA権を取得した時に、他球団へ行こうとしたら、多くのファンから「残ってくれ!」と懇願されて、
涙の残留会見。 『番長』というのは、仁義に篤いのです。
〇 夕焼け番長
1960年代の漫画。原作は 梶原一騎 。暴力で荒れている中学に転校してきた主人公が、番長連合の強者と
戦い、ことごとく勝ち、改心させて不良だった者たちを運動部に送り込んで、スポーツ名門校にするという
お話。 この梶原という作者は、巨人の星、タイガーマスク、あしたのジョー等の原作者でもあります(画
は別の人が描いていた。)。当時流行った「スポ根もの」の生みの親的な人ですが、実生活では子供の頃は
教護院(児童自立支援施設)にたびたび入れられ、大人になっても、色々な罪で有罪判決を受けるという
荒れた人生だったようです。 各作品のストーリーを見ると、本当は「こう生きたかった」という心の叫び
が聞こえるような気もします。 この作品をもじって「口だけ番長」と揶揄された政治家もいましたっけ。
あと、あしたのジョーの作画は、ちばてつや(「キャプテン」の作者 ちばあきお のお兄さん)。
ちばてつや 自身に「ハリスの旋風」という作品があります。 主人公の 石田国松 は、喧嘩は好きだが、
犯罪はしない。テレビの主題歌は♪「国松さまのお通りだい 正義の味方のお通りだい となりの番長
やっつけて そのとなりの番長やっつけて そのまたとなりの番長やっつけて おチャラが怒って・・・」
運動神経抜群なので、各部に入って大活躍も、調子に乗って(クラシック)バレー部にも入ってしまい、
朝から元気がない・・・なんて場面も。 丸眼鏡の子分の面倒もよくみていました。
〇 おしゃれ番長
なでしこJのW杯優勝時に大活躍し、今回は独特な解説をしていた 川澄奈穂美 選手(今も現役37歳)は
よく、女子サッカー界の「おしゃれ番長」といわれていました(仲間内では「ウザ美」だったらしい)。
日テレ女子アナの「おしゃれ番長」は 郡司恭子 アナというのが、通説のようです。 郡司アナは慶応
大学時代、体育会ゴルフ部に所属していて、ゴルフウエア姿についても、よく記事になったりしています。
女子アナや引退した女子スポーツ選手のゴルフ場での、ミニスカ姿がなんたらかんたらとの記事を頻繁に
目にしますが、ゴルフ場に行けば、富太郎世代の、ひざ上、生足、ノースリーブのおばさん、失礼マダムを
よく見かけましましたよ(最近、行っていないけど)。 見てもらうというよりは、暑さ対策の機能的な
コーデなのではと思いますが、真相は不明です。 練習場にも、時々います。
日テレといえば、新人の 山本里咲 アナウンサー。中高とハンドボールをやっていて、今夏のインターハイ
で準優勝した昭和学院(千葉)OGで、全国大会にも出場経験があるとのこと。「ハンドボールの魅力を、
発信したいです。」と抱負を語っているので、ぜひ、応援していきたいと思います。 頑張れ!
〇 番長皿屋敷
子供の頃、夏になる「四谷怪談(お岩さん)」「牡丹燈籠(お露さん)」「番町皿屋敷(お菊さん)」等
怪談物をテレビでよくやっていました。富太郎は怖いものが苦手なので、今もこの手の作品は観ませんが。
「番町皿屋敷」の「番町」というのは、今の千代田区の市ヶ谷駅の近くで。 あれ?「番長」と「番町」
は違うよねぇ。 でも字は・・・違うよねぇ。 大変失礼いたしました。 で、続けさせていただきます。
♪「・・・ブレーキきかない私を許して[いいじゃん]見逃してくれよ[いいじゃん]見逃してくれよ 」
(小泉今日子「見逃してくれよ」) 昭和40年代の前半くらいまで、番町小学校→麹町中学→日比谷
高校→東大 というのが日本のエリートの学歴モデルと言われていたらしいのですが、富太郎の先輩で、
番町小学校→麹町中学→私立武蔵(御三家)→早大政経 という方がいて、「番町小学校→麹町中学→私立
武蔵→早大政経→国金」というのを(自虐)ネタにしていました。 野球大会前でも、昼休み練習には参加
せず、喫茶店でアイスコーヒーを飲んでくつろぎ、カラオケでは「函館のひと」から「五番街のマリーへ」
まで、小椋佳のように飄々と唄っていた H さん 。お元気でしょうか。
お菊さんは、湘南は平塚の出身のようです。 平塚在住の やすはら 元気かぁ?
今年の夏の甲子園は、高二の時以来、約50年振りに
全試合(時間の多少はあれ)テレビ観戦した 富太郎
(下記「蛇足」をご参照ください。)
フォト/試験が終わったらやろうと思い、アマゾンで購入
した、売れ筋の将棋ソフト『香川愛生とふたりで将棋』。
試験後も、何かと忙しく、詰め将棋をちょっとやっただけ。
このソフトを企画・原案・出演している 香川愛生 女流
三段は 立命館大卒 で、愛称は『番長』とのことです。
「落し物 番長 」なのだとか。
蛇 足
高二の時も、夏の甲子園全試合視聴を続けていたのですが、
どうしても学校に行かなければいけない用事があって、
無念の記録途絶を覚悟したら、その時やっていた試合が
延長14回まで長引いて、ギリギリ試合を見ることが
できました。その時試合をしていたのが、今回準決勝まで
勝ち進んだ「土浦日大高校」。エースの工藤投手は、その後
阪神でも活躍します。 この年は、巨人の原監督(東海大
相模1年)、優勝した銚子商業には篠塚(2年)、鹿児島
実業の定岡(3年)と、のちの巨人ドラ1がそろい踏み
していました。 『昔取った篠塚、前の年は定岡。』
よねやまキャプテンの前橋工業が、ベスト4に進出したのも
この年。
★ 残 念
おりひめジャパン(ハンド女子)が、アジア大会の最終戦で
韓国に1点差で惜敗。 得失点差で引き分けでもパリ五輪
出場が決まったのですが・・・。