富太郎の日常146 『 だが、情熱はある 』 けど
7月2日の試験が終わり、気がつけば、春クールのドラマは、みんな終わってしまっていました。
視聴率は芳しくなかったようですが、富太郎に「ずしん!」と来たのは『だが、情熱はある』です。
『自分が「天才」であると、勘違いしてもらうために必死だった」南キャン山里と、『「自分なんか」と
卑屈になり、何事も否定ばかりしていた』オードリー若林の、『たりないふたり』のお話し。
「だめ・だめ」の、まさに富太郎じゃん。 ♪「私は今日まで生きてみました 時には誰かの力を借りて」
〇 テニス
始めたのは、社会人になってから。市のテニス教室がきっかけでした。同期のヤダちゃんに誘ってもらい
テニス部へ。当時、マッケンロー、コナーズ等有名選手も多く、ブームでした。特にビヨンボルグが強くて
ボルグの使っていた「DONNAY」というラケットを富太郎も購入。 ただ、周りにこのメーカーのラケット
を使っている人は誰もおらず、その後も見かけたことはありません。 ミーハー全開。
テニス部でマネージャーだったことは、前にも書きましたが、社宅で何人もの奥様方から「(テニス部で)
富太郎さんにお世話になりました。」と言われたと、奥にいぶかしがられ、「あなた、何してたの?」
マネージャーです。 その後、転勤で行った札幌で3年間スクールに通いました。教えてくれたコーチは、
全道選手権で準優勝したほどの実力者で、大学の体育会系の選手たちがこのコーチに教えてもらいたくて、
インストラクターのアルバイトに来ていたほどなのですが、富太郎は初中級から中級に上がるのが精一杯。
後輩モッチーニの「富太郎さん、テニスはセンスですよ。」を改めて証明してしまいました。
『だが、情熱はあった!』 楽しかったから、良しとしましょう。 今は眼(遠近感)が・・・。
〇 ゴルフ
札幌の3年間、テニススクールとともに、ゴルフスクールにも。 クラブとラケットを担いで、スポーツ
用品店のCМみたいな恰好で毎週通っていました。 テニスのコーチからは「週2回やれば、4倍以上上手く
なりますよ!」と言われ続けたのだけれど、ゴルフも上手くなりたかったし、時間も体力もお金も足りな
かったので、週一、二股で、結局どっちつかず。 思えば、ゴルフのコーチのアドバイスをちゃんと聞いて
いなかったなぁ。 50代になって東京に戻ってから再びゴルフスクールへ。 今度こそは基本を身に着け
ようと、指導通りのスゥィングを目指し、休む事なく通い続け、よしよし安定してきたぞと思い始めた頃、
それまで人並み以下のドライバー飛距離が伸び始め、さらにコーチの「クラブはシャフトが大事です。」
のアドバイスに従い、シャフトを変えると、まあ飛ぶ飛ぶ。 変に気が大きくなってブンブン振り回して
いたら(俗称マン振り)、方向が定まらなくなり、時々空振りも。そのうち打ち方も判らなくなって・・・。
ここで諸般の事情で少しゴルフから離れる事になりました。 諸般の事情が少し納まり、練習場に再び
通い始めましたが、崩れたスウィングは元に戻らず、体力も体形も今は昔。 前は打ち放題2時間半を
ガンガン打ち続けていたものが、今はせいぜい100球ちょっと。 でもねぇ、昔取った篠塚。アイアンは
まだ狙ったヤード表示にピタッと行く(こともある)。 10年ぶりの100切り。諦めていませんよぉ。
『まだ、未練はある』 じじいのゴルフで、もう一花。 (空振りの夢は、勘弁してほしいなぁ!)
〇 資格試験
40代の頃から、いろいろな資格試験に挑戦するのを趣味としてきましたが、「司法書士試験」は最長の
10年越え。 そもそも『暗記』が大の苦手な人間に向いている試験ではないということを、年数を重ねる
ごとに痛感。 各校の教材には「暗記」とか「覚えましょう」との表記がこれでもかと出てくるのに、嫌い
だからスルーし過ぎていたかも。 また、変に慣れてきて、講師の先生方のアドバイスをちゃんと守らず、
我が道を行って、同じところをグルグルと回り、なおかつ何年かに一度「法改正」の魔の手が・・・。
毎年、試験が終わると各予備校が「解答速報」を出し、次の週末辺りには「答案分析会」なる講座を
大々的にやるのですが、今年はYouTubeを梯子して観たら目が点。 短答式は各校同じ答えだったのですが
記述式は、大手2校の解答が違っている問題がありました(それぞれの説明は、納得のいくもの。落としど
ころは、問題が悪い?) しかも、解答速報に書いてあった「添付書類」が違っているやないかい!!
まあ条件は受験生みな同じなのですが、今年は特に「時の運」に左右されそうな気配です。 なぁんて、
先にエクスキューズしておいたりして。 『だが、情熱はある』 祈念「さくらんぼ」回避ぃ(拝)。
♪「・・・そして今 わたしは思います 明日からも こうして生きて行くだろうと 」
( 『今日まで そして明日から』 吉田拓郎 1971年7月 )
試験が終わってずいぶん経つのに、
まだ「問題を解いている」夢を見る 富太郎
(元SKE48でフリーアナウンサーの柴田阿弥さんが
『簿記2級に合格した』という記事の中で、
「電卓を叩く幻聴と、夢の中で原価計算をしてたとき
本当に苦痛だったわ・・・」と言っていました。)
フォト/『だが、情熱はある』の「たりないふたり」
イメージイラスト (グッズ販売の広告から借用)
シンプルだけど、二人に見えるのが、さすがプロ。
プロと言えば、主演のジャニーズのお二人、春日を
演じた戸塚純貴さん、しずちゃんを演じた富田望生
さんが、本人達にしか見えなかったのが、凄かった。
特に富田さんは、「チアダン」のころから注目して
いましたが、その演技力に改めて刮目。若いお嬢さん
ですが、まさに「いぶし銀」。 末恐ろしいです。
俳優と言えば、同期で定年退職後俳優になった
ふくしま君から、15日の土曜日に、鎌倉の
生涯学習センターホールで「朗読舞台(有料)」に
出演するとの案内を頂きました。
2部・3部はダブル主演の1人だそうです。
『やるなぁ、 ふくしま ひでき !!』