富太郎の日常143 『 ジュリー~! 』
最近、新聞等で「ジュリー、75歳バースデイライブ」の広告の、仏頂面写真が目に付くなと
思っていたら、BS-TBSで『沢田研二 華麗なる世界』という特番が。 さっそく録画(試験後のお楽しみ)。
その昔、向田邦子脚本のTBSドラマ『寺内貫太郎一家』で ばあちゃん (樹木希林、当時は悠木千帆) が、
壁に張った笑顔のジュリーのポスターに、『ジュリー~!』と言って身をよじるのが、お約束でした。
2~3年前の「ソロデビュー50周年」はコロナ禍だったから、今回は大盛り上がりを期待しましょう。
〇 『一等賞』
それこそ40年以上前に、黒柳徹子・久米宏アナ(当時)の司会で始まった歌番組「ザ・ベストテン」で、
ジュリーは常連さんでした。 マッチ、トシちゃん、聖子ちゃん等のアイドル、まだバリバリだった五木や
森等の演歌組に対し、ジュリーは孤軍奮闘。そこに「今週もご出演いただけませんでした。」というニュー
ミュージック系も絡んで、百花繚乱状態。そんな中、ジュリーの『一等賞が好き』との堂々発言が、注目を
集めました。 今となっては、どの曲が『一等賞」になったか判らないので、以下好みでの選曲です。
・カサブランカ・ダンディー♪「ボーギー、ボーギー あんたの時代は良かった 男がピカピカの気障で
いられた・・・」ハンフリー・ボガード いい男でした。 はりたおしてはいなかったような気も。
・時の過ぎゆくままに♪「身体の傷ならなおせるけれど 心の痛手はいやせはしない・・・」ジュリー
主演のドラマ主題歌。 高校時代、演劇同好会の文化祭公演でBGМに使用。 思い出の特に深い一曲。
・TОKIО♪「空を飛ぶ 街が飛ぶ 雲を突きぬけ 星になる・・・」今でも、ちょっと意味が解らない
けれど、グループサウンズのような衣装にパラシュートを背負って、とにかく度肝を抜かれました。
・「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」「ストリッパー」「ダーリング」「サムライ」「危険なふたり」
「憎みきれないろくでなし」「LОVE(抱きしめたい)」「勝手にしやがれ」・・・。キリがない。
〇 『スーパーバンド PYG』
グルーブサウンズの熱狂が去り、各グループが解散していく中、ジュリーとショーケンのWヴォーカルを
売りに結成されたのがPYG。1~2年で(案の定)解散しましたが、集まったメンバーにはインパクトが
ありました。 同じタイガースから 岸部一徳 。 スパイダースからは 大野克夫・井上堯之 等々。
ショーケンはその後、「前略おふくろ様」や「傷だらけの天使」等ドラマで活躍。「傷だらけの天使」で
ショーケンの弟分役で『兄貴~!』のセリフが印象的だったのが、水谷豊。肺炎で死んじゃうけれど。後に
「相棒」で特命係の杉下右京を演じ、小野田官房室長を演じたのが岸部一徳というのも、人脈でしょうか。
ちなみに「傷だらけの天使」の音楽を担当したのは、井上堯之バンドでした。
〇 『三億円事件』
ショーケン主演のドラマが日テレ系だったのに対し、ジュリー主演の「悪魔のようなあいつ」はTBS。
「寺内貫太郎一家」を水曜劇場でやっている同じ時期の金曜ドラマでした。 演出はどちらも 久世光彦。
ジュリーは「8時だよ、全員集合!」にもよく出ていたし、「ザ・ベストテン」も。 TBS系?
で、この「悪魔のようなあいつ」というドラマは、1968年12月に起きた『府中三億円事件』が題材に
なっていました。 この事件は、府中東芝工場のボーナス資金を積んだ現金輸送車が、にせ白バイ隊員に
よって強奪されるという事件で、襲われたのが当時の日本信託銀行国分寺支店の車。場所は府中刑務所の裏
と、どちらも国立の隣町です。当時小学生だった富太郎が、大学生のお兄さんのいる友達の すながわ君 の
家に遊びに行ったら、刑事さんが二人来ていました。なんでも、周辺の街の大学生のいる家全戸の聞き込みをやっているとのことでした。 今でこそ宝くじの一等賞金が10億円の時代ですが、当時の3億円は、
東芝の工場の従業員さん4,500人以上のボーナス資金。 給料もボーナスも、現金支給でした。
そして、この事件の公訴時効が、このドラマを放映していた年の12月10日で、毎回ドラマの最後に
『三億円事件 時効まであと〇〇日』 とのコメンとフリップが映し出されていました。 主題歌は、
「時の過ぎゆくままに」 です。
〇 富太郎にとってのジュリー
テレビっ子で、毎日のようにジュリーは見ていましたが、ひとつ上の従姉が夏休みにキャーキャー言って
いるを見て、さすがに都会(23区)者は違うと感心したこと。 高校時代、劇団の研修生をやっていた
女の子に「指導してくれそうな人を紹介されたので、会いに行くから付いて来い。」と言われて、みんなで
付いて行ったら、さんざん自慢話を聞かされ、その中で『ジュリーと(みんなで)飲みに行く機会があって
「おー、おーいっちょ前に!」と茶々を入れたら、ジュリーに『うるせー!』って言われた。』という話が
3回くらい出てくるのを聞いて、『だッせー!!』と思ったこと(もちろん、口には出さず)。 くらいで、
まったくお会いしたことはありません。 奥さまは田中裕子さん。「タコが言うのよ」 富太郎の2つ上。
その後「顧問の先生と相談して、指導をお願いするのは止めた。」と劇団研修生女子は言っていました。
「昭和ブーム」で、4~50年前のことが、しばしば
放送されるのを見るにつけ、「時の流れ」「人生の
進行」のなんと速いことよ! と感じ入る 富太郎
(「お楽しみ」が多いのは、とても嬉しいのだけれど。)
フォト/カセット・テープ
『沢田研二 全曲集』
1983年 発売元 アポロン音楽工業株式会社
A面11曲 B面11曲
A面の3曲目に「背中まで45分」(作詞作曲 井上陽水)
が入っていたのに、ちょっとビックリ。
さんざん聴いたはずなのに・・・。
試験まで、あと16日